「怖い話」飛び込み爺さん 自殺団地の怪


 

この話には、特定の人々を侮辱するような内容が含まれています。もちろんRAIMEIにそのような意図は全くなく、この文章の中で侮辱されている職業や人々にたいして、RAIMEIは敬意を払っており、ただあくまでこのお話をお伝えするために、やむなしにそのまま掲載するものです。そのような差別的な文章が苦手な方は、読まない方が良いと思われます。

 

 

「自殺者は繰り返す」

「ねえママ?あの家の上、人が落ちてる・・・・・落ちたと思ったら、また同じ人がきて、また落ちて・・・・・あの人何してるの?」

まあこんなところだろうか、アパートだかマンションだかから、人が繰り返し、落下しているのを幼い娘が目撃して、母親に何事かと疑問を投げかける。

そして霊感持ちの母親は、「だから自殺はダメなのよ」と、そう吐き捨てる。とても有名な怪談だ。
いわゆる無限地獄というもので、自殺者はその報いとして、自殺した瞬間を、またはその一日を、天の神の裁きの日まで、いやその後さえも、未来永劫繰り返すというのだ。

とんだ永劫回帰もあったもので、苦悩の死の間際に「さらばもう一度!」といってはてた、さしものニーチェでもそんな一生ならば、何度でも繰り返したいとは言うまい。しかしはたして、これは真実だろうか、それともただの作り話であろうか?
もしこれが、真実だとしたならば、自殺とは、死してもそこまで苦しまなければならないほどの罪なのであろうか?いったい何の罪状で?

これから語ることは、ただの作り話である、取るに足らない妄想である。しかし自殺者の罪について考えるには良い材料に思える。なぜならこれは、やはり実際に今もあること、だからである。

 

 

「飛び込み爺さん」

20XX年X月、X県X市、X病院
飛び降り自殺に失敗して運び込まれ、入院している、ある会社員だった男が、自身の体験談を、県警の刑事に話していた。

通常、個人の自殺未遂に警察が首を突っ込むことはないのである。
この会社員の男が、自殺した場所というのが、ここ数年でなん件か自殺騒動があった、噂の自殺団地であり、それが話の焦点であった。

 

俺が飛び降りた理由でしたね。
・・・・・・・こんな話、おそらくは誰も興味がないだろうけど、ねたきりで丁度退屈していたところだから、話しますよ。いや別にオカルトどうこうではないのだけれど・・・・・・あまり気持ちのいい話ではないのでね。

かれこれ、半年前のことでしょうか・・・・・俺は同僚の山内と俺のアパートで飲んでいました。
まあ会社や上司に対する愚痴とかを、言い合ってそれなりに盛り上がっていたんですよ。俺達の会社、いえもう退職するんですが、表向きはブラックとかではないんですが、飛び込みの営業職というのもあって、結構精神的にきつくてね。

いえ、それで自殺したとかでは・・・・・・順を追って説明しますよ。
山内とは実は、1年程前まではそれほど親しい関係ではなかったんです。
彼は一見地味で控えめな男で、まあ今でいう陰キャ風というか、そんなに営業として有能そうには見えないし、周りとの付き合いも良くなかったんですけど、それでいて、実はここ1、2年の間、課内で一番の成績を出す、稼ぎ頭だったんです。

そんな男と、ある日偶然から、意気投合して、たまに飲むようになりました。
彼も相当ストレスをためていたようで、愚痴仲間ってやつですよ。
普段は控えめな好青年で、こんな男のどこに、あんな成績をだすバイタリティがあるのかと、付き合う前はいぶかしんでいたんですが、一緒に酒を飲んでみると、もうハチャメチャでね、どうやら彼も、色々とやけくそになっていたんだなあ、と今では思いますよ。

で、その夜珍しく俺のアパートで、パワプロ(野球ゲーム)をやりながら二人で飲んでいると(というのは普段は、山内のアパートで飲むことの方が多かったので)、酒とつまみが足りなくなりましてね、近くのドラックストアに買い出しに行ったんですよ。そして焼酎だの、ポテチだの、アーモンド入りのチョコレートだのと、目についたものはなんでも、買い物かごに詰め込んで
(甘いものが酒と合わないなんてのは、知識でしか酒を飲んだことのない、お子様の言うことですよ)、レジに並ぼうとしたら、珍しい人物を見かけましてね。

ここらでは、飛び込みじじいとか、基地外さんとか、色々と呼ばれている名物爺さんでした。まあ名物と言っても、実際は俺も見るのは初めてで、結構レアものというか、一種の都市伝説的な存在でした。

いつも使い古しのジャンバーなのか、屑布の寄せ集めなのかもわからないような、ぼろぼろ服をきて、ぼさぼさの白髪頭の上からへんてこな帽子をかぶっていて、猫背で、まごついていて、まあそれだけでは、ただの浮浪者ですけれど、その爺さん、たまに発作を起こしたように、手を前後や左右にバタバタとさせて、なにかごもごもと呪文を唱え出すんですよ。

それがどうやら、「痛い」、「痛い」、とそう言っているということで、なんでも、昔は、普通の勤め人だったそうですけれど、女房に逃げられただか、会社を首になっただかで、とにかく何かの切っ掛けで、世をはかなんで、自分が住んでいた、どこかの団地の屋上から、自殺しようとしたらしいんですわ。

とにかく何か、つらいことがあったようです。もしリストラだとしたら、
昔も、今も、労働者の首に鎌を突き立てる死神の様な、いえすぐに殺すのではなく、油をしみこませた縄でじわじわと首を絞めつけるような、あの「不景気」、というやつの犠牲者だったのか、それとも自身が怠惰なだけだったのか・・・・俺の想像ですが・・・・

いやすみません、最近読書に目覚めまして、どうも月並みな比喩表現を使ってしまいました。すぐに影響を受けてしまうんですから、いやですね。いえ今でこそこんななりですが、私も学業に専念していた時期があるのです。しかしね、社会人というものは、現実に対処していかなければならないので、どうしても理想的、観念的な学問の性質からは、遠のいてしまうものなんですね。
テレビで、大学の教授だの文化人だのが、偉そうなことを言うことがありますが、なに、あんなこと我々のような百戦錬磨の労働者からすれば、とっくのとうにご存じのことばかりで、彼らの価値はただ、言葉やらなんやら、とにかく諸々の修辞が上手い、というそれだけなんです。それに引き替え私は実直で生き方も言葉も飾らない主義で、そういう風に生きてきましたから。

 

話を戻しますけれど、
死のうとしたけれど、けれど、・・・・見事に失敗して、不幸にも助かった、助かってしまったもんだから、あんなふうに後遺症で基地外になってしまったということです。

不思議ですよね、飛び降りるときは、当然この高さなら死ねるとか、この落ち方なら死ねるとか、そういうことを漠然と何回も何回もシュミレーションするものですけど、以外に、そんな計算、「いざ」、というときには、何の根拠も実行力も持たないんですから。
ええ、たぶん高さが足りなかったか、地面が柔らかかったか、気流の影響か、おそらく体全体で地面に衝突したから、体にかかる圧力が少なかったんでしょうね。物理で習うでしょう、面積が狭いほうが、より大きな圧力を受けるんですよ、だから体全体で、地面にぶつかった方が安全なんです。足からだと、背骨、脊髄がやられて、寝たきりですよ、ええ一生無力な人間として生きていくんですよ・・・・・でもね頭からなら、頭が割れて、・・・・・・・・・いや・・・・・・まあ、とにかく、どこかこんな話は、どうでもよくて、とにかく・・・・ああそうですよ、その爺さんは、そんなことを考えて、飛び降りて失敗したんじゃないかと、・・・・・・・。

狭くても、汚くても、自分の住家なんだから、それなりに嬉しいことや、心を動かされることもあったでしょうに、その思いでの住家の屋上で、自ら人生の幕を引こうとしたんですね。

まあそんなわけで、爺さんは、自分が落ちている時、その落下の時の恐怖と痛みを思い出しては、苦しんで、助けを求めている、ということです。しかもどうやら、いやこれは完全に尾ひれ、だったんですけど、いまだに自分が自殺に失敗した、団地の屋上にいっては、自殺を試みて、結局できずにいるのだと、そう噂されていたんです。

実際に見ても、まさにその通りで、その時も、かの爺さんは、発作を起こし、手をバタバタさせて、何とも悲しそうな、いや悲痛な、表情で、「痛い」、「痛い」、と言っているようでした。

口がもごもごして、ヒューヒューと、風が吹いたような息をしながら、声が出ない、伝えたいことを、誰にも伝えられないような、そんな切実な感じで発音するので、よくは聞こえないんですけど、確かに、まあ「痛い」と言っているようにも聞こえました。

周りには、人だかりができるようなことはありませんでしたが、何気に生きる都市伝説に偶然出くわした、物見遊山な人や棚の整理をしている店員等が、俺たち二人の他に2,3名ほど、遠目で爺さんの様子をうかがっていました。

我々一同はひそひそ陰口をして、とにかく侮蔑と興味の心をそそられて、皆なにか変ったことが起こらないかと、内心期待したはずです。
でそうしているうちに、期待通りかはともかく、一応それは起こったのです。
偶然にも、彼の頭のヘンテコ帽子が落ちてしまったんですけれど、帽子で隠された頭頂部は、まあ見事なツル禿げだったんですよ。周りは白髪でぼさぼさなのに、帽子で隠している、頭頂部の広範囲がツル禿げだったんです。

それを偶然に暴かれてしまったことが、彼には予想外でとても心外だったらしく、今までいかにも、周りのことなどてんで関心がなく我が道を行く風だったのに、急に正気に戻ったように、慌てふためいて、赤面したのち、帽子を拾おうとしたんですよ。
でも慌てふためいているもんだから、帽子を拾おうにも、手が滑るのか、足が滑るのか、その日は少しだけ雨が降っていたからかもしれませんが、

帽子は爺さん自身の手にはじかれたり、蹴飛ばされたり、爺さん自身が転んで踏みつけたり、とにかく見当違いのところに両者が動き、それはまるで見えない糸がついており、誰か人知を超えた存在が、彼らに嫌がらせをするために、操っているかのように動きました。

結局帽子が元のさやに、爺さんの禿げ頭に収まったのは、それから30秒だか1分ほど後のことでした。
我々はその間思わず、くすくすと笑ってしまいました。皆の不思議な爺さんに対する好奇の目は、一瞬にして、ただの乞食への見下しと嘲笑と憐みに変わりました。が反面少しだけ、俺は爺さんが本当に気の毒になりました。

爺さんは、帽子を拾うと、気の弱そうな目で、おどおど、とあたりを見回しました。
彼にはよほどショックだったのでしょう。針のむしろの中で、だれか周りに助けてくれる人はいないかと、そんな感じでした。

でも爺さんにも意地はあるはずです、いや意地とかじゃなくて、こうした時にただの乞食の汚い爺さんを助けてくれる人なんて一人もいない、それを知っていたのです。彼に一切の悪気がなくて、善良な精神を持っていても、世の中は彼のような貧乏人を許しはしないのです。何故だかというと、それは彼が迷惑な人だからです。

爺さんは、味方がいないと悟ると、今度は思い直したように、強気になって、笑っている我々を、今度はぎょろぎょろと恨みがましく、強い視線で、周りを見回して、「誰も見ていないだろうな、誰も悪口を言っていないだろうな、お前らにその権利があるのか、お前らはそんなにご立派なのか、俺だって立派な一人の人間なんだぞ!」そう口封じでもしたいかのように、にらみを利かせてきたんです。

いや、でもそれは少しの間のことで、あくまでそう見えたというだけです。だってあの爺さんは、次の瞬間には、急に改心したように、また元に戻って、
こびを売るように、滑稽なまでにへりくだった態度で、へらへら笑いながら、こちらにさも申し訳なさそうな、眼差しを送ってきて、しまいには、近くで作業していた店員に、気さくを装って、しどろもどろに話しかけ、その作業を手伝おうとしたぐらいなんですから。その時は気の弱った哀れな老人がいるものだと、本当に思いましたよ。

だってそうでしょう、あれだけボロボロの格好をしていて、一向に気にしないようなていをしていても、そんな人間にも、隠しておきたいことはあるんですから。
それが公衆の面前で、笑われて、あんなにも、少なくとも3回もこちらの顔を伺うほどに、狼狽しているのに、それなのに、彼には怒りという正当な権利さえも、人間らしい感情を表出する、その意思の力さえ、ろくに与えられていないんですから。

結局、店員にも邪険にされて、余計恥ずかしくなったのか、彼は買い物をやめてしまって、そそくさと、店を出ていきました。

その時俺は、爺さんに対して、きみが悪い、乞食で情けないと思いつつも、まあ人間色々あるからと、人間的な同情を、いえそんな偉そうなものではないんですが、とにかく、気にしないで、そっとしておいておこうと、そう思いました。

でも山内は違いました、何が癇に障ったのか、爺さんに説教をしようと言いだしたんです。
なんでも彼が言うには、みんな大変な時代なのに、一人だけ不幸を背負っているようなやつが、一番腹が立つのだとか、ただ不幸な時代に停滞して、自殺すれば何もかもが楽になると、そう考えて、逃げているだけだとか。

前に一度、(その時も酒を飲んでいたんですが)、フリーターやひきこもりの話になった時に、そういう人間は社会が悪いと言うけれど、結局は自業自得なのだという結論に二人で達したんですよ。だって人間には自由意志があるのですからね、その意思による行動が、結果として幸不幸を決めるのだから、要は自分が不幸でもそれは自己責任であり、それを不運のせいにしている、逃げている怠惰なやつらが、一番哀れで卑怯なだけなのだと・・・・・、要するにフリーターとか、ひきこもりとかは、子供のころに誰でも出来る努力をしなかった怠け者なのだとね。人生は全て、結局は努力で決まるんですから、自分の自由な意思で、努力をしなかったやつらが、負け惜しみを言っているだけなんだとね。
そのくせそういうやつらは、努力している我々を、善良な人間たちを、その足を引っ張ろうとしてくる、そう彼は嘆いていましたよ。それは基地外、つまり精神障碍者も同じで、奴らは困難なことから逃げるために、病気を出ちあげているのだとも、彼は言っていました。

それを言うなら、売れない地下アイドルとか、セクシー女優はどうなんだと、あちそういう売れない女に心寄せるオタクはどうなんだと?私が冗談めかして言うと、彼はこう続けました。

生まれながらのヒロインという存在がいる。それは輝き世の中を照らす光だ。美人は心まで輝いているが、そうなれない者、売れない者たちにはまさにその輝きがないからであり、それだって自業自得のことなのだと。

ましてや、セクシー女優などは、自らの意思で、自らの体を売る、けがらわしい存在であり、なるほど、インターネットでさらし者になるのは、まさに自業自得のことなのだと。彼女らは恐ろしいことに、全人類のさらし者になって侮辱をうけているのだと。彼女らに群がるのは亡者ばかりで、およそヒロインとは程遠い、娼婦なのだと。まさにけがらわしい自業自得の存在なのだと。

いえはっきりとは、言いませんでした。でもそう、におわせるようなことを彼は当たり障りのない態度で示しました。つまり善良な人間が最後に勝つのであって、卑怯者やけがらわしい者は当然の報いを受ける、そういうことだけを彼は言ったのです。

ええそうでしょう、俺達なんて、どんなに深酒しても、翌日にはちゃんと出社して仕事に取り掛かるんです。善良で自由な精神を持っていれば、それなりの成果は期待できるのです。また精神疾患などにかかるはずがないし、なったとしても風邪みたいな物で、じきに良くなるはずなんです。
こんな毎日毎日努力している俺達が幸せで真っ当なのであって・・・・・・・怠惰な人生が報われるわけがないでしょう・・・・

山内には、爺さんの目が、たいそう恨みがましい目に、見えたのでしょうね。
山内は、爺さんを立ち直らせるために、ガツンと言ってやるのだとか、そう言っていました。普段は、いえ元々が決して、人に上からものをいう人ではないんですよ、山内という男は、謙虚な優しい人間なんです、
初めて、彼と親しくなったときだってそうでした。

たまたま入った飯屋で、横暴でトドみたいな大男が難癖をつけていて、店主の老夫婦が怯えていたんです。周りには数名の男女の客がいましたが、その悪党に抗議するやつは見たところひとりもいなかった。

誰だってそうでしょう、仕事で忙しくて、ただひと時の休息、いやエネルギーの補給に来ているのに、なんで余計なエネルギーを浪費して、他人のために迷惑をこうむる必要があるのかと、第一あんな大男と暴力沙汰になったら、無事じゃすまないし、会社にも迷惑がかかるかもしれない、そうしたら、俺が抜けた穴は誰が埋めることになるんだと、まあそんな風に効率よくやり過ごすものですよ。
でもそんな中で、どうしても黙っていられなかったのか、その悪党に対して震えはしてもはっきりとした声で抗議して、黙らせたのが、偶然居合わせた彼だったんです。
意外にも、大男は、がたいは悪くないとはいえ、自分よりは明らかに小さい山内の抗議一つで、簡単におとなしくなってしまったんです。

彼に、後から聞いたところ、「あれがヤクザなら、決して手は出さなかったが、恐喝の仕方から素人のようだったので、いけると思った」そうです。そんなお人よし男だからこそ、俺は彼を好きになったんですよ。

そんな彼が、この時ばかりは、すごく意地悪な満ち足りた顔をしていたんです、
まるで生来の悪魔で、人を苦しめるために生まれてきた、そんな顔でした。
彼は老人が、落伍者で、いじけもので、恨みがましく地面を這う虫のような人間で、人に後ろ指を指されて当然の、つまりは自業自得の人間だとか、俺が立ち直らせてやるのだとか、そんなことを、本当に思っているとでも言いたげでした。どうしたことかと、今でも思いますよ、いくら酒がはいっていたとはいえねえ。

確かに、爺さんは自業自得の人間ではあるのかもしれない、いやそうじゃないかもしれないが、とにかく、そんなみじめな人生を、指をさして笑ったり、侮辱したり、説教してやるのだとか、そんな権利が、他人にあるでしょうか。
子どものいじめじゃないんだから、我々大人は他人を尊重するという、良識というものを持つべきですよ。

だから、俺は人前でそんな説教なんて、爺さんに悪いから、よそうと、そう止めました。
だからその場ではそれ以上何も起きませんでした。

しかし我々は、爺さんがドラッグストアを出るのをまって、その後をつけたんです。なぜそんな成り行きになったのか、酩酊していたので、よく覚えてはいないんですが、とにかく興味本位で、爺さんが本当に自殺現場に向かうのか確かめようとしたんだと思います。
散々偉そうなことを言っても、人間なんてそんなものですよ、きっともう我々は限界だったんでしょうね。ただ日常から抜け出したくて、なにか普段とは違う刺激を求めて、肝試し感覚で、その得体のしれない爺さんをつけていたんです。

いえいえ、別に会社に不満があって、やけを起こしたわけではないんです。ブラックだなんてとんでもない。毎日真っ当に働き、自分の食い扶持を確保できる、人生に何の不満がありますか、途上国の孤児として生まれて、餓えなければいけないわけではないんですよ。
そうした人たちに比べたら、我々はずっと幸せですよ。
ただ激務でストレスをためるのは、どこでもよくあるじゃありませんか。

話を続けますが
爺さんは、明るい通りを避けて、暗い人気のない道を進んでいきました。
彼は、2回ほど、考え事をするように立ちどまって、あたりをそっとうかがっていました、我らがつけているのがわかったんでしょうか、いえたぶんそうではないと思います。その様子は何か正体の定まらない邪悪な物を嫌悪して、不安がって、恐怖する、そういう類の物のように感じました。まあ乞食の基地外の爺さんなんて、現実には、だれかれからも、かまわずいじめられ、さげすまれる存在なので、それは当然ですよ。

やがてある団地に入っていきました。本当に団地に入って行ったんですよ。
・・・・・・・・ええそうですよ、俺が飛び降りた、おそらく爺さんも自殺した、あの団地、自殺団地にです。

でもね、自殺団地なんて言ったって、まだきちんと人は住んでいるのですよ。それは自殺する前に調べましたからね。
元々、何か曰くつきで、爺さんの仲間の様な、日陰の住人が多い所だったんですが、なん軒かの、自殺騒ぎで、借り賃が安くなり、余計にそういう人間が増えたようですよ。
まあそこが有名な自殺団地ということは、後で知ったので、飛び降り爺さんと自殺団地という、二つの怪談の符号にはその時は気がついていませんでした。

俺達は後をつけました。もう怖いものみたさでした、怖いものと巡り合いたかったんです。爺さんは、エレベーターに乗っていきました。俺達は少し遅れて、もう片方の、エレベーターに乗って、後を追いかけました。

最上階は7回でした。噂が本当なら、その上に屋上があって、そこに爺さんはいるはず。俺達は7階のボタンをとりあえず押しました。2階と3階の間位にさしかかったころに、5階のボタンのランプがついて、そして5階で止まりました。誰かのるかと思って、若干気まずい思いをしていたのですが、扉が開いただけで、誰もいませんでした。

7階につき、屋上へ続く階段をなんとか、見つけて上りました。幸い、外の梯子階段から屋上に出るタイプではなく、(もしそうなら酔っ払いにはきついですからね)、室内階段から上に上がれるタイプで、恐る恐る屋上の扉を開けて外を除くと、フェンスで囲まれた東側の先端の方に爺さんは立っていました。
屋上の扉は西よりに、向かい合う形で二カ所あり、私たちは前方にある少しだけ爺さんに近いもう一つの入り口の陰に隠れて爺さんを見張りました。

爺さんは、やはりというか、期待通りというか、そこで手を前後左右にバタバタさせて、うわごとを言っていました。正直に言うと、それを見た時点で、私のよいは大分醒めしまいました、それが見たかったのにです。

私は、あの爺さんが、「痛い」、「痛い」、と言っているのが、聞き間違いで、実は「死にたい」、「死にたい」、と言っているのでは・・・・・ふとそう思ったんです。それで怖くなったんです。

ドラッグストアでは何か滑稽に思えたそのしぐさも、声も、夜の屋上では別のように、悲壮な感じに感じられるのでした。別にしゃれた比喩表現などはいりません、ただ彼がここで死んだのだと、人生という大海におぼれて、そしてここで命のともし火を、不完全燃焼のまま、散らした人たちが確かにいたのだと。

いえきっとそういう人は船底に、はなから穴が開いていて、どんなに水をすくい上げても結局、すべての無駄な努力をしたうえで、徒労の末にあきらめて死を待つか、
もしくは隣にいた死神だか海坊主だかが、ひしゃくでひっきりなしに、船に水を注いでくるとか、とにかくどう抗おうとも、そういう不幸な人生をおくるしかなかった人々がいたんだと、そういうことがわかってしまったんです。

友人も、山内もそう思えたのでしょう、山内は思わず、ゆっくりと躍り出て、爺さんの方へ近づいて行ったのです。彼の顔がどんなだったかは覚えていませんが、その時には彼の顔からは既に意地悪な笑みは消えていたはずです。
彼は正気に戻ったのだと思います。目の前で、人が死ぬかもしれない、

血の涙を流して、悲鳴を上げて、心をもった美しい命が、まるで無価値なもののように汚されて・・・・・
そんな時でさえも、相手を見下したり、馬鹿にしたり、そんな人間では彼はないんです。

ただ彼は、もし万が一その日、爺さんの自殺がもう一度成功してしまったらと、いえそうじゃなくても、ただ自分と同じ、人生に疲れ果てた男と、何かを語らいたいと、傲慢な自分の態度を謝りたいと、そう思ってちかづいたんだと、思います。

爺さんも気がついて、こちらを振り返りました。
きっと爺さんの方も、我々が手を差し伸べれば、受け入れてくれるはずだと、我々は無条件に、思っていました。
でもそれは・・・・・・ただの傲慢さ、余計なおせっかい、そういう類の物でした・・・・・・彼はニヤニヤと笑っていたんですよ、何とも楽しそうにね・・・・

彼は最初から私たちの存在に気がついていたように、驚きもせずに、そしてこちらに向き直り、満面のニヤニヤ笑顔で、手を前後や左右に動かして、バタバタとやって見せたんです。そしてその後で、こっちに手招きまでして・・・・・

私たちは、声も上げられず、大急ぎで、そこから逃げ出しましたよ。爺さんのあの前後に手を動かす動き、だってあれは・・・・・落下して慌てている動きではない・・・・・・人を突き落とすときの動作ですよ。

その日はそれでお開きになりました、警察に通報するにも、何の根拠もないし、罪悪感もありましたし、爺さんについてはあえてお互いに触れませんでした。と言うよりも、この後、俺達は少し気まずくなって、もう一緒に飲まなくなったんです。
そんな不気味な出来事があったんですけど、結局は、俺達はまともな大人の男なんで、そんなオカルトめいたことはさっさと忘れて、何気なく、日々の仕事に戻っていったんです。
彼とだって、そんなに関係が悪くなったわけではないですし、また切っ掛けがあればと、そう思っていました。

それから特に怪奇現象もなく、数か月間が過ぎ、相変わらず、彼の営業成績はトップでした。正直に言うと、信じられない売り上げを記録していました。こんな飛込みの営業で、大して安いわけでもないのに、いくらんでもおかしいと、上司もいぶかしんでいましたが、結局別に不正等もなく、我々は、彼のバイタリティに称賛を送りました。

でもその頃から、彼はおかしくなっていきました。いえもっと前から予兆はあったのでしょう。営業ですので、ずっと会社にいるということはありませんが。会社で会うとき、彼は明らかに、何か発作的におびえているように、見えることがありました。

彼の奇行は日に日に目立っていきました、不自然なほどに、笑顔に、明るくしていて、一見とても満ち足りたようなのですが、どこか不自然な物でした。
そしてそのくせ、時折急に何かに怯え、耳をそばだてて、あたりを見渡して、慌てふためくことがあるのです。でも営業成績はトップなんです。

俺はもちろん彼の心身の健康をきづかって、色々と相談に乗ろうとしましたが、彼は何でもないと、まじめに取り合おうとはしませんでした。飲みに誘っても不機嫌な顔で、適当にはぐらかされました。

また少しの日々が過ぎて、彼の奇行はもう最高超に達していました。いつも一人でなにか独り言を言いながら、何かに怯えているし、そのくせ妙にテンションが高くて、もう踊りださんばかりの時もありました。手足をやたら上下前後して、ちょこまかとあるき、だれかれ構わず、愛想を振りまいて、それはまるで別人の様でした。
俺は正気に戻ってもらおうと、悩みを打ち解けてくれるように、つよく彼に訴えました。

そうしたら、はじめは、何もない、俺はおかしくないと、成績もいいじゃないかと、言い張っていましたが、そのうちお互いの語気が強くなってきて、「お前まで俺を基地外扱いする気か、おれは基地外じゃない、俺はそんな卑怯で逃げてばかりいる、人間ではない、俺は立派な自由意志を持った人間だ」
彼はそう言って、それ以来俺の言うことには、一切耳を貸そうとはしませんでした。

結局それ以来本気で、気まずくなって、半月くらい、彼とは最低限を除いて、会話もなかったんですけど、ある夜急に電話がかかってきたんです。

俺は彼との関係を戻すチャンスだし、今度こそ相談にのろうと勇みましたが、でも彼がなんと言っているのか、それがわからないんです。何かを言っているようなのですが、それが言葉にならないというか、ごにょごにょと、かすれた息でヒューヒューと、何かを言っているんです。

でもそれは、決していい感情から発せられたものではないことは、わかりました。
まるでそれは、恨み言の様な音程なのです。でもそれが言葉にならずに、いて・・・・・・
そのうちに、・・・・・たい・・・・・・・たい・・・・・・爺さんと、あの爺さんと、同じような・・・・・・そんなことを言い出して・・・・・そして電話が切れたんです。

俺は、嫌な予感に駆られて、通じない電話は放っておいて、彼の家に駆け付けました。
あの恨み言は、俺に言っていたのではないかもしれない、なんていうか、まるで自分自身に対して、言い聞かせているような、そんな声だったんです。

鍵は空いていて、中に入ると、包丁を持って、自分の腹を今にも突き刺そうとする彼がいました。俺はとっさにそれを止めて、彼を非難して、その後なだめました。
彼はただ泣こうとして笑っていました。不自然な笑顔で笑っていました。

少し落ち着いた彼から、彼が何に苦しんでいるのかを、やっと聞く事が出来ました。それは必至の訴えでした。彼は悩みを俺だからこそ、打ち明けられなかったとそう言っていました。でも恥も外聞も、もう関係なかったんです。

声が聞こえるそうです。一体誰のか、それは、今まであってきた多くの人たち、それに見知らぬ人たち、夢の中であったような、そんな人たち、その人たちが、彼の噂話をして、彼のやることなすことに、文句を言ってくるそうなのです。何かするたびに、これは合理的ではないとか、お前の生き方はくだらないとか・・・・・・しまいには家族の悪口まで・・・・

いないはずの人が見えるんです。突然学生時代の嫌なやつが現れて、お前は負け組だとか、貧乏人とか、そう言って馬鹿にして、勝ち組と比べて、以下に愚か者か、劣った人間か、そう自慢して中傷してくるんです。

そして例の爺さんもその中の一人だったんです。爺さんは、彼の耳元で、ごにょごにょと、虫が這うような声をだし、そして、時折あらわれては、ニヤニヤと笑いながら、彼を例の動きで、突き落とそうとするんです。爺さんだけじゃありません、人生の落伍者たちが、自分を道ずれに来ているのだと、彼はそう言っていました。

俺と話している際にも、彼は不意にぴたりと動きを止めると、そういった魑魅魍魎の様な存在と会話をして、自分はそんな人間ではないんだ、と何度も言っていました。
そして少し経つと、まるで標高の高い山にいて、目いっぱい空気を吸い込んで短距離を走るような具合に、いえわかりにくいですね、ようするに何とか我慢して正気を保ちながら、また俺との会話に戻るとそういう感じでした。

俺は、彼の話を聞いて、そして自殺につかえそうな、物は全部預かって、それでその晩はずっと彼のそばにいました。
一度だけ、コンビニに朝食を買いに行った時に彼のそばを離れましたけど(彼の部屋の冷蔵庫は空っぽでした、人間寒いのと餓えが一番の大敵ですよ)、その時は、これはやばいとそう気がついて、すぐに引き返したのが良かったのでしょう、何も起きませんでした。

それから何週間か、俺は出来るだけ、彼のそばにいて、彼のためになることをして、彼を元気付けました。おかげで少しずつ、彼の精神状態も良くなってきて、大分自分の置かれている状態を、理解できるようになっていったようです。

ええ、病院には、その時はまだかからなかったんです。確かに一番良いのは、事件の晩の翌朝に、病院、精神の病院に行くことですよ。でも考えてください、自分がある日突然、基地外だなんて、言われて納得できますか?そんなこと他人に言う人はどんな神経なんでしょう?侮辱以外の何物でもないですよ。もしたとえ、それが事実だとしても、言われたほうは、本当になっとくなんてできませんよ。

まして、彼は、自分が基地外なのか、それともあの爺さんたちの 呪いなのか、それさえ判断がつかない状態でした。もちろん呪いなんてありはしませんよ、ただ彼には、少し心の整理が必要だったんです。第一、心の病なんて中学生じゃああるまいし、そんな理由で仕事を欠勤なんてできませんよ、第一周りの目を考えれば、基地外になったなんて、世間から抹殺されるも同じじゃないですか、医者だって信用できるかわからないし、誰に話せますか!?

まあそんなわけで、彼はだんだんと自分を取り戻してきました。そしてあの晩も、二人で飲んでいたんです。ええ、俺はそろそろ彼を病院に連れて行こう、家族に状態を伝えようと、そう考えていました。彼は田舎の家族にも、他の同僚にも、彼の病気のことは秘密にしておきたかったのです。
で、なんやかんやそれとなく、匂わせるように、言って、まあ考えてみてくれと、その晩は彼の家を後にしました。

そしたらね、笑っちゃうんですけど・・・・・彼ね、翌日死んでたんです。
ええ、飛び降りでしたよ、でも例の団地じゃありません、ただアパートの二階から、頭から、ダイブしたんです。本当に死ぬつもりがあったのかはわかりませんが、とにかく、とにかくですよ・・・・・彼は飛び込んだわけです、それで死んだんです。

それはそうでしょう、飛び込んでしまえば、もう恐怖に怯えなくていいんですから、二階から苦しまずに死ねるなんて最高ですねえ!、ねえ刑事さん、刑事さん、そうですよね刑事さん、もし人生に絶望したり、例えようのないほど傷つけられたのなら、ねえ刑事さん、貴方ならどうします?
僕だったらそんなことには耐えられないなあ・・・・・・・・・いや俺ならば、そうだ私ならば耐えましたよ、逃げるなんて卑怯者のする事ですからね。あんなに目をかけてやったのに、私は、彼の弱さを非難します!、彼も所詮は迷惑な人間だったということですよ!ねえ刑事さん、そうじゃありませんか、私たちとは違う、私たち善良で勤勉な人間は、決して逃げ出したりはしないんです。正常な人には自由な意思、自分のことは自分で何でも決める事が出来る、自由意志があるんですから!、逃げるなんて、だってそれは卑怯者のやる事ですからね。ねえ刑事さん!

 

 

・・・彼の葬式は、粛々と行われました。会社の同僚は代表で俺が出席しただけです。でも別に課長が悪いとか、同僚が悪いとかではないんです。みんな忙しいのだから・・・・・あれはたしか葬式の翌々日ぐらいでした・・・・・・会社の一階を歩いていると、課長と専務が話をしながら、こちらに歩いてきたんです。
いや別に俺に用があったとかではなく、ただ何かの打ち合わせか、ごますりでしょう。俺なんかにようがあるはずがないですよ。

でもね、その時に妙な感覚を覚えたんです。土気色の顔をして、働き詰めの課長、決して好きではないが、仕事人としては尊敬している課長、その人が頭を下げて、媚びているのは、色白の専務、社長の息子です・・・・・・・ただの青二才なんです、なんでしょうね・・・・・・・その時いけないことだとはわかっていても、でも、不公平だ・・・・・・・・・・・・・そうだ不公平だ!、俺とそう変わらない年の人間が・・・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・そんなに扱いが違うのだ!俺にだって、人並みな十分な才能があるのだ、いやあんなバカ息子などよりも、よほどの才覚があるのだ。ただ環境、与えられた物の差だけではないか・・・・・・・・・・どうして、まともに、まともに、本当の才能を、本当の力を評価せずに、まがい物に世間はこびへつらうのか!
そうだ、世の中、他人にこびへつらう人間だけが、世渡りの上手いやつらが、出世するのだ。だから人間の世の中は良くなるはずがないのだ。世の中には、生まれながらに恵まれた人間と、それに媚びるだけは一人前の、そういう恵まれた故に浅はかな人間か、それにこびへつらうしかない下等な人間が、どちらもうじ虫が、跋扈しているのだ!

だっておかしいでしょう・・・・・かれはあんなに頑張っていたのに死ななければならなかったんですよ。

いやしかし、彼らには能力があるのかもしれない、輝ける才能があるのかもしれない・・・しかしならば、ならばなぜ、俺にはそれがないのだ・・・・・・・・・・与えられた物に差があるのなら、
なぜ俺達が恵まれた側ではないのだ・・・・・なぜ・・・・・・・・皆に称賛される、そう、まるで太陽のような、日の光をあびて、自らも放っているような、そんな人生ではないのだ・・・・・・・・・なぜ俺達が・・・・・・・・・・・・・・、

 

ねえ刑事さん、俺達はただでさえ陰にいる人間なのに、そのうえさらに陰口をたたかれる立場なんですよ。陰に陰が出来る事なんて、ありえますか?ええ、人間の世界ではそれがあるんです、陰よりもみじめな陰、専務よりも課長、課長よりも俺達、そして俺達よりも、あの爺さん・・・・・・・・ねえ、上に立つ人間は太陽のような人じゃあないんですか、だったらなぜ俺たち陰も照らさないんですか?、ええそれは簡単です!だって太陽があるから陰ができるんですからね!

すみません。でもね俺が言いたいのは、恵まれた人間が、人が良く能力があっても、そんなのは、まがい物、浅はかな人生なんですよ。彼らは自分がどんなに恵まれているか、何も理解していない。あの専務がまさにそうです。ああいう連中が自分だけは、安易な安い光に包まれて、努力だとか、善良だとか、世迷言をいって、自分の空虚な人生を見ない様にしているのです。そんなやつらが太陽な訳がないでしょう?せいぜい公園のあの蛾がたかっている電柱程度ですよ。

 

そう思うと、俺は急に世の中に、復讐したくなりました。いえ自分を壊してしまいたくなりました。おかしいんですよ、世の中は。まっとうに生きてきた有能な人間が評価されないで日陰にいて虐げられるなんてのはね。不公平だ。

・・・・・・はい、俺は除草剤だの、爆薬の作成に必要な材料など、そんなありとあらゆる、危険物をアマゾンで購入して、人を巻き込んで盛大に自爆してやろうと、そう思っていたんですよ、ねえ、俺のようなつまらない人間が、人に認められるには、そんなことしかないじゃないですか。人は、人から、世間から、つまはじきにされたら、どうなると思いますか?、それは死以外の何物でもないですよ。存在の死です、抹殺です。いったい他人に否定されて、必要とされない人間が、どうして生きていけるんですか? 私はね、たとえ殺人犯となってもね、それが強者ゆへの行動ならば、つまはじきにされる孤独、つまりそれは、弱者が受ける、あの悪意のある嘲笑と暴力よりは、それよりは、よっぽどましだといいたいですね。

いえ、もっと積極的に言えば、強者ゆえに、隠された真理、正義を知るゆえに、俺は人を殺すのだと。ただ恵まれただけの悪人達を、殺すのだと。恵まれたというだけで、不幸な人生があることから目をそむけ、あるいは見下し、どちらにせよ甘い汁を独占し、そのような真の悪人というものを俺は知っているのだ! そう世間に言えたのなら、俺はもはやそれは強者だと英雄だと思います。

 

・・・・・・でもそんなことは出来なかった。出来るはずがないんですよ、無限に意気地なしの私には、出来ない。ここで人を殺してやるんだと、何回もそう、駅のターミナルで、図書館で、公園で、幸せな人のいそうな、あらゆるところで、トランクに入れた爆薬やら毒薬を御大層に持って、そうやって、やるぞ、やるぞ、と言いながら、でもできないんです。

そんな時に限って、ガスの元栓は占めたかな?とか、最近のセブンの弁当の上げ底はひどいなとか、いやなに、それだ大してろうせずに幸せなやつの人生なんてのは、上げ底と同じで、幸運な時が過ぎ去れば、すべての愚劣な浅薄さが露呈されるのだから、何も俺が天罰を下さなくてもいいじゃないか、それよりも、もう寒いから・・・・・・ふん、本当にばかげてますよ。

ええ、全部ウソですよ、私はね、すべて嘘でごまかして、偽りの常識と情熱で生きてきた人間なんですよ。あるアイドルを推していたのも、ええアイドルを推している自分が好きだっただけで、本当にそのアイドルが好きなわけではないし、ようするに、すべてがただ、弱い自分を慰めるための人生だったわけですよ、強者の言う希望や正義に、望んでけむに巻かれていたわけです。そんなんだから今更本気で人を憎めないし、本気で、死ぬことも出来なかったんです。ただ、弱くて、この先夢も希望もなくて、ただこき使われるだけの人生で、そんな人生だと思い知らされてしまったから、どうしても抜け出したかったんです。

でもそれすらも出来ない、意気地なしだったんです。俺に出来る事なんて、ネットの掲示板で芸能人だのアニメだのアンチ活動、それも、できれば絶妙に売れていない人がいい、「センターの〇〇ちゃんに比べて、XXは全て劣っているよね、見た目も、歌唱力も、知名度も。やめればいいのに」

そんなことを書き込んで、ただ人を呪うしかななかった。俺は、勝ち組なんだ、俺はこんなに素晴らしい芸能人を、アイドルを推しているのだから、俺は勝ち組なのだと、ええ、負け組の人間は、踏みつけにされて、誰もが見る事の出来るネットで公然と馬鹿にされて、そうです、俺はありとあらゆる馬鹿にできるもの、たとえば、セクシー女優ですね、そういうやつらを徹底的に罵倒するうじ虫になることにしたんですよ。

あいつらを娼婦といって、そうですあんなのは汚い存在のまさに、生きる価値もないゴミ屑なんです。男に体を売るしか勝のない動物ですよ。アイドルとは違うわけですよ。アイドルは輝ける皆の憧れのヒロインで、ええ、セクシー女優は皆のさらし者、虫けらなんですよ。・・・・・いったい彼女達にどんな差があるというんですか・・・・・・・誰か心を覗ける魔法の顕微鏡でも持っていて、彼女たちの心根の良し悪しを測定して、良いものはアイドルに、悪いものはセクシー女優に、そう公平に振り分けられる、まるで神様のような人間がどうやら世の中には大勢いるらしいのです。

ええ、私は、きちんとした勤め人なので、良い心を持っているので、そのような虫けらを馬鹿にする権利があるわけですよ。

ええ、私は、勝ち組なので・・・・・私は・・・・・・ひどい、あまりに醜い男なんです。そして・・・・どうしようもない弱者なんです。卑怯者なんです。人を散々傷つけておいて、そのくせ死ぬことさへ満足にできないのですから。

私は、ちかって言います。人を馬鹿にするすべての人に対して、こう誓って言います。アイドルがヒロインで、セクシー女優が虫けらだと、なんておろかな、でも事実お前らは、そうやって人に区別をつけて弱い立場の人をなぶっているじゃないか、人の心を、貴方はそんな遠くからどうやって判断するのか、あなたは人の本当の美しさをどうやって判断するのか・・・・・・・私は言います。もし生まれながらに容姿に恵まれて、その他才能環境にも恵まれて、出世した人間がいるとしましょう、そんなやつだけがヒロインだというのなら、ヒロインなんていなくていいんです。ヒロインなんてものはこの世にはいないんです。ただ恵まれただけの上げ底人間を羨んで、貴方たちは本当の人間が見えていないんです。

俺にはもう、わかっていました。あいつらの、悪人達の声が、俺の耳にもはっきり聞こえていることに、その声はとっくの昔から、私を無限にあげつらい、罵倒して、俺はそれに操られていたのです。

良くあることですよ、「貴方のためだから、君の将来が心配だから、みんなのためだから、正義が勝つ」、ああそうですか!、本当にご立派で善良なうじ虫ども、そんなやつらと長年、同じ心に、間借りしていたということが、その時、私にははっきりとわかってしまったのです。

私は破滅しました。すべての心は死んで、悪徳と後悔だけが残りました。私は心清き者たちに、崇高な精神というものに、とんでもない侮辱を行ってしまったのです。いえまた嘘を言っていますよ。このインチキやろうは、ええ、ただ俺はさびしくて、破滅して、ただその時思いつく、一番の慰めに縋りついたんです。

何回目かの自殺ごっこに十敗した後、あの爺さんに会いに行こうと、急に思いついたんです。それは一つには確かめるためでもありました。
いえ、彼が精神病で死んだということはわかりきっていました。しかしあの善良で正義感の強い彼が、精神病なんて・・・・・・いえ、善良だからこそ・・・・いやあの爺さんが・・・・・・いやありえない、ありえないと、でもとにかく今はあの爺さんに合わなくては・・・・・・そう思い立ったんです。

初めて見た時は、ただの哀れな爺さん、気味悪い恐怖の存在としか、思わなかったのに、世の中をはかなんで、いじけている、人に嫉妬して・・・・・そんな人間を俺は誰よりも軽蔑して、自分はそんな存在にはならないと、そうちかって、長年できるだけ醜いものを見ないようにしてきたのに・・・・・・・・・・・そんなやつは醜い敵なのに、虫けらなのに・・・・・・・でも、あの時は、爺さんが、そういう連中がたまらなくいとおしく思えたんです。そして恥ずかしくなったのです。

それから、何回か夜にドラッグストアに足を運びました。そしてあの晩何回目だったかは、忘れましたけど、爺さんはいたんです。
俺は、すぐには彼に近づくことは出来ませんでした。だって俺は、あの爺さんを笑って、冷笑していたんですから・・・・・・・それに彼だって相変わらずバタバタしているんですから・・・・・爺さんが、一人になり、またあの暗い道を歩いている時にも、俺は声をかけられませんでした。なんていうか、別にドラマを期待したとか、なんか盛り上げたいとかではないんです。ただ俺達は、そういう連中というのは、誰よりも近い存在なのに、じつはお互いを恐れ憎み合っているものなんです。弱い者のみにくさが、俺達は何よりも嫌いなんです。いえこの考えにも確信は持てなかったんです。ただ俺は何も信じられなくなって、それで、あの爺さんのことを知りたくなって・・・・・・・

彼は、例の屋上まで来ました。どんよりと出口の見えない寒空の中で、彼にあげようとして、買ったホットコーヒーが妙に熱かったのを覚えています。彼はそこでまたバタバタ、ニヤニヤやっていました。
そうです・・・・・・・俺は、この時に、彼の彼らしい時に、俺達のように、何もかも押し殺して生きている人間が、その深くかぶった、帽子をはずして、自由になれるときに、そんなときに・・・・・・・・

彼はこちらを見ると、ニヤニヤと、こっちに来いと、手振りをしました。俺はそれに向かっていきました。彼は死にたいのか、山内は死にたかったのか、俺は死にたかったのか・・・・・・・・・・・ああ、そんなはずがないんですよ。
そんなことは、たとえそれが真似事でもなんでも、自殺をしようとした人間になら解るんですよ、死にたいんじゃない、そうだ・・・・・・・・・・・・消えたいんだ・・・・・・

爺さんは、「消えたい」そういって泣いていました。
はじめから、存在しなかったら、どんなに良かったか・・・・・・・そんな悲しいことがありますか・・・・・・

俺は、爺さんにホットコーヒーを渡して、二人でならんで飲みました。
俺は爺さんに謝りました。いえ言葉にはできなかったんです。でも爺さんはわかってくれたようです。彼は口では黙って、でも確かにうなずいたんです、いえ自己満足に過ぎないかもしれません、傷をなめ合うだけかもしれません、でもあの時だけは・・・・・・・・あの爺さんの涙をみたら、俺は人の心、それが少しわかりかけた、そう思ったんです。
弱い人間、醜い人間、悪事を働き人を傷つける人間、犯罪者、そうした今まで悪人として敵として軽蔑してきた人々、じつはそういう社会の陰にいる人間こそが、その心こそが、俺の本当の仲間なんだと、そう思ったんです。

一体誰が、誰を非難し馬鹿にするのか、たまたま弱い立場に置かれそれでも必死に生きている人を、その人々の苦渋を足場にして踏みつけにして、贅沢に暮らさせてもらっている恵まれた人間たちが、馬鹿にするというのか。

いや、誰が誰を馬鹿にしたり、非難したりできるというのか、確かに、世の中には卑怯者や悪人、だらしのない人、色々と欠点はある人はいるさ、でもな、そんな人たちを裁ける立場の偉い人間ってやつは、どこにいるというのだろうか・・・・・生まれながらに恵まれたやつだろうか、それとも運命全体が、自由意志で出来上がっている神のような人間だろうか・・・・・ああ、そりゃあ少なくとも俺はそんなんじゃあない、俺はただ・・・・・存在は、俺だって生きていることは、それは・・・・

俺達のような、人間は、あまりに、むごい現実から、消えたいんだ・・・・・・消えたいと思ってしまう、そう望むしかない。上手く現実を生きることが出来なくて、そのくせ、観念や理想だけは人一倍で・・・・・・・・・いつも馬鹿にされて、
それでも、そんな人間が確かにいるのだ・・・・・・・・・でも、爺さんも俺も心は、そう醜いかもしれないけれど、嫉妬心や失敗ばかりかもしれないけれど・・・・・・でもこんなに、確かに、波打ってるじゃなか・・・・・・・・・

死にたくなんかなかったんだよ。

 

 

俺は、爺さんに別れを告げて、そしてそれから、二度と見かけることはありませんでした。
俺は、それから、人の心を学ぶために、哲学や宗教の勉強を少しずつ、始めました。そうなんです、本来なら、こんなに雄弁に、もちろん支離滅裂ですが、でもこんなに人に、ものを語れるような、人間では本来ないんです。学もなく、地頭もよくない、そんな人間なんです、でも彼らに俺は教えられ、そして罪を償い、たいんです。

ながながと、お付き合いくださってありがとうございます。最後に俺が言いたいことを、もう一度言って、それで終わります。

勘違いしないでいただきたいのは、今の俺も、山内も、爺さんも、自分が迷惑な人間だと悟るぐらいの、経験と知能はあったのです。
少なくとも、きちんとした勤め人や、将来有望であろう子供や、美しい女性や、いえ、労働者の血を吸う資産家や、世襲の無能なバカ息子たち、そういう類の人間よりも、比べ物にならないくらい、爺さんは、俺達は、社会の迷惑、お荷物だと思われているのです。

何にも貢献できず、醜く、何の才能も、魅力も、心の清さも、そんなものは無く、ただ怠惰で迷惑な虫けらだと思われているからです。
貧乏も、病気も、体が丈夫でないのも、頭がよくないのも、見た目が良くないのも、環境に恵まれないのも、ありとあらゆる不幸は、全部弱者の持ち物、不幸は全部弱い人自身のせいなんです。
そしてそれは逆もしかりなんです。上手くいっている人の良いとされているところも、全部その人個人の努力のたまものなのです。だって人間には自由な意思がありますから。
全てが、自己責任なんです。だってそうでしょう、この世の中は因果応報、全部自分でまいた種の結果なのです。

世の中は弱肉強食です・・・・・・・良くわかっています。ええ、だから、不幸な人が、より不幸になるのは当然なんです。そのスタート、不平等な始まりから、我々は自分に責任を取っていかなければなりません。他人が自分にいつも公正に接してくれるとは限りません、でも世の中はギブ&テイクです。自分があげようとしない限り、帰ってこない、自己中心的で、迷惑な人間が、人から嫌われるのは当然なんです。
貧乏な人ほど、自分がどんなに恵まれているのか、その感謝の心を忘れているのです。少なくとも今の日本ではね。

それでも、ただ、私いいたかったのは、・・・・・・・ただ上手くいっていない、不幸な人間を、そっとしておいてほしいということです。なにそんな不幸な人間でも、買い物位はしないと、食べていけないでしょう、仕事もしないと、食べていけません。生きる目標だって、夢だって見るのはかまわないじゃないですか。

しかしそういう人には、買い物ひとつ、仕事ひとつ、夢を見るのさえも、たとそれがえ簡単な事でもです(勿論仕事は簡単ではありません)、
そんなことでも、彼らは、弱みを根掘り葉掘り詮索されて、嘲笑されて、うじ虫のように足蹴にされて、そんな人生を送らなければ、いけないんです。
はたしてこういう人間に善良さがなんの役に立つでしょうか。なにを与える事が出来ましょうか?、まじめにやればやるほど、世間は彼らを冷笑する、いえ応援してくれる人もたくさんいて・・・・・・その中でも、まあまどろっこしい、彼らのやり方に耐えられる忍耐強い人もいるはずなんです。

でも彼らの目にはそんなものは見えないのです・・・・それまでの長い陰気な人生で、彼らの瞳にはもう不幸と悪徳しか映らないようになっているからです。

俺が言いたいのは、そういうことなのです。ただそれだけなのです。

――――――――

 

「あの、先生、あそこのCさんでしたっけ?あの患者さんずっと壁に向かって一人でなにかつぶやいていますけど・・・・・・・・しかもたまに痙攣してるし大丈夫なんですかね」

「ああ、ここじゃあよくある事さ、今日は初日だ、これからあんな患者ばかり相手にすることになる、まあ気にしないことが肝心だよ、期待のホープなんだから、ミイラ取りがミイラになるようなまねは控えないとな」

「いやあ、でもなにか、言いたいことがあるのなら、聞いてあげるのも治療になるかななんて思うのですが・・・・・・・・・・・・・・」

「どうせ、わかりゃしないよ。ごにょごにょ、ヒューヒューやってるだけさ。第一だね、毎日、自分はここへ運ばれてきたばかりだと、そう思っているんだから、要は彼の記憶なんてものは、まったくあてにはならないのさ。
唯一聞き取れたのは、飛び降りをする爺さんとか、山何とか・・・・・そんなやつらは初めからいやしないよ、そう何度いっても、ききやしない・・・・・・・・・
それよりも、仕事だ。医師と言っても、我々は勤め人、労働者なのだからね、現実に向き合う力のない患者をそっと安静にさせておくのも、我々の務めということなんだな。」

「はあ、そうですか・・・・・現実と理想のギャップは果てしない!・・・・・・・・・これから前途多難だな~・・・・・」

「まったくいい若い者がそれじゃ困るじゃないか・・・・・・そもそもこの分野はだね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

FIN

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