料理の基本とは、材料の良さを引き出すことだ。私はそう思っている。
しかしまったく別の考え方もある。私の母は、料理とは材料の悪さをごまかすための技法だと言ってはばからなかった。家は貧しかったからよく腐りかけの野菜や肉をただで手に入れては、強い味付けでたしかにある程度美味しいものを作ってくれた。
私はそうした母への反動からか、食材の味や栄養を引き出すことを重視する考えをもっており、今は完全なプロとは言えないまでも、子育てと両立しながら、手軽な料理を紹介する活動をとおしてそれを発信している。
しかし、食べ物に興味のない児童や、偏食の児童、あとは子供じみた夫が意外に多いらしく、よく相談に乗る中でそういう児童の健康と栄養のバランスを考えた場合に、この強い味付けというのは参考になる部分があると思うようになった。
強いと言っても別に塩分過多というわけではなく、うまみや香辛料等で食材の持つ癖やエグミをとることで万人向けの味に、または既存の味に飽きている人向けに新奇性のある味に仕上げることができるのだ。また見た目を工夫するのも有効だ。
もっとも外食産業や加工食品では、私が幼少期に経験したように、悪い素材を美味しくするために、そういう技法が使われている面があるかもしれないし(関係ないけど最近の冷凍食品は美味しすぎる)、そこまではいいがかりだとしても(第一貧しい私はその強い味付けのおかげで成長できたのだから)、栄養バランスと家計を考えた場合はやはり自炊メインの方が好ましいと思う。
この年になると「ごまかす」というテクニックは内外の仕事の上でとても、重要なテクニックだとわかるようになり、母の気持ちや苦労も少しはわかってきたというところかな。
今ふと気が付いたのだが、よく家族に暴力を振るってきた父が若くして亡くなったのは偶然だったのだろうか? 母ならやりかねない。
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ある日私は、古い日記をみつけた。
見覚えがないものだ。
19XX年
このあいだ、私のお父さんが死にました。
でもお父さんは、私からはなれてくれません。
お母さんにころされて、じょうぶつできない、私にケイサツの人にいってほしいって。しにきれないって。
でもごめんね、私お父さんこときらい