「哲学考察」RAIMEIが考える人生の目的

 

最近色々な事があり気落ちしているので、自分の人生を再確認するためにこの記事を作ります。以下僕が考える人生の目的を書いていきます。優先順位とかはありません。

なお、僕は時に非常に浅薄な事を書いて、人を不快にしてしまうかもしれません(実生活でもあるんやで)。ですが、あくまで自分でそれを自覚して、本当に大切だと思うことを、一人の人間の意見として個人的なものも含めて、書きます。

批判覚悟で責任を持って書きます。哲学とか思想の記事は閲覧数がすごく少ないのだけれど、ぜひコメントしていただけると嬉しいです。あと、アニメの話とかでてくるので、苦手な方はご了承ください。

 

1.世界・心の謎に挑むこと

現代の日本人の大半が、無宗教であろうし(例の事件以来、本当かどうかかなり怪しく感じてきたが)、僕自身も無宗教です。

そして、科学が発展して神が死んで以来、唯物的な物のとらえ方が我々の無意識に浸透して、ニーチェの言うニヒリズムがはびこっている気がします。

 

例をあげると

①世の中のことは、全部物質を観測すれば、説明できる。
②心=脳であり、脳は刺激に対して反応する入出力器官であり、人間は脳内物質に支配される機械だ。自由意志は存在しない。
③脳は、快楽を追求するように出来ている。よって快楽を最大にする生き方が正しい。
④生きることは快楽を妨害される苦悩の連続なので、できうる限り快楽を最大にして、死ぬまで耐える罰ゲームだ。
⑤神はいないしあの世もない(僕もそう思う)。よって他の人に批判されるようなへまをしなければ、何をしても許される。力が全て。
⑥宗教同様、全てのイデオロギーは人を搾取するための虚構、資本主義×民主主義×科学技術によって、イデオロギー闘争の時代は終わり、実質的にイデオロギー自体が消滅した。宗教や思想について語るやつは詐欺師(実際そんな感じ)。

 

大体こんなところでしょうか。しかし、僕はこれらの考え方に一部を除き反対です。もちろん上記例は恣意的なものですが。

なぜ反対なのか。これは世界を物質的にとらえるのは、一つの認識方法でしかないからです。この点については、同時に記事をあげたので、次の記事を読んでください。でも良くわかっていないので、上手くまとめられていないかもですけど。

今思いついたことを書くならば、例えば脳を観測したとして、血流や脳波や脳内物質の働きはわかるかもしれませんが、決して心そのものは見えてきません。

勿論、最新のBMI(ブレインマシンインターフェイス)では、脳波や脳血流を読み取ることで、感情等を予想することが出来る、という成果を知っての上で書いています。とりあえず、川戸光男先生がすごいということしか、知らないけれどね。

内臓や内燃機関ならば、物質の運動だけで、その働きを観測できるし、説明もできますが、脳を調べても、心事態をみることは出来ないからです。

無宗教や、脱イデオロギーを掲げる人、人生は観念に振り回されるとろくなことがないと現実主義を信条にする人(堅実と言う意味でかなり正しい気がします)、でもそういう人自身が、その考えを持っている。つまりその考えこそが、人生であり、観念であり、突き詰めると宗教であり、イデオロギーだと思うのです。

人は、心からは離れられないと思います。よく人は幸せになるために生きていると言うけれど、極論言うと嘘だと思います。少なくとも何の保証もない。もしかしたら、人は考えるために、感じるために生きているのではないでしょうか?

世界、そしてそれを認識する心に取り組む、特定の宗教に依存することなしに、それが僕の課題です。こういうことを考えていると、宗教的なほうにどうしても飲まれそうになるし、文章も限りなく、怪しくなるのですが。

 

2.自分を信じる信念を持つ事

これはコンプレックスの問題で、自分は一時期結構落ち込んでいた時期があったので、劣等感や僻み根性が強いです。もう半端ないです。

極端な話、意識的にしていないと、どうしても「自分なんて無価値だ」という感情の状態になってしまいがちです。この「自分なんて」と言うやつは、本当に厄介で、自分だけでなく、他人も巻き込んで弊害をもたらします。

しかし、このコンプレックスには実は良い面があるのです。人生の苦悩は、正直いらないのですが、神性な面があります。これはある意味で重力のようなもので、なんどでもそのネガティブな方に引き戻されるのですが、しかしそれがないと、自分はふわふわと浮いてしまって、歩くことが出来ないと言うようなものなのです。

ですから、僕はこの劣等感に向き合うことが人生の課題だと思っています。同時にそこから自由にもならなければいけないけれど。

 

3.数学や哲学等で思考能力をつける

僕は理系なのに、あまり数学が得意でないので、数学を学び直したいです。ただ時間がないので細々と。人間の発展は数学と共にあるようにも思えます。世界の謎に挑むなら、ぜひこの点は避けて通れない気がして、怠惰で弱い自分を奮い立たせて、取り組まなければなりません。そして一番重要なことは数学を楽しめるようになればいいな。

あとは、やばい思想にはまらないように、できるだけ、一歩引いて物事を見るように心掛けないとと思います。これから結構カバラとか仏教とか、怪しい記事が増えるともいますが、僕はそれを頭から信じていません。僕はあくまで、宇宙や世界の謎に対してだけ神秘主義者でありたい。

 

4.感情と向き合う

僕が、論理と同じくらい大切にしているのが感情です。感情は論理より下等なものだと過小評価されていると思います。嫌われる勇気でおなじみ、アドラー心理学では、感情は道具だという見方をしていて、その根底には、理性=論理=正しい、という信仰があるように思えます。アドラーが成長期にアリストテレス等から影響を受けたことを考えると、当たっているのではと思います(個人心理学自体は好きです)。

また、論理は男性的で、感情は女性的と言う見方もあるでしょう。この考え方は、結構偏見的で女性からは嫌われるかもしれません。でも僕はこの見方自体はある種の逆転の発想が可能なのだと思います。

ある観測された事実と、それをどう評価するかは、まったく別物です。僕は女性が感情を司るなら、それは、論理におとらず、素晴らしいものだとそう思います。ニーチェは、女は表層だといって嫌いましたが、彼は男性的側面からしか物事を判断できていなかったのです。豚に真珠とはこのこと。

 

女性は複雑です。優しさと愛の聖女かと思えば、自己中心的で冷酷な鬼にもなるし、人を誘惑する悪魔にもなるし、そうかと思えば現世に無関心な悟った状態にもなる。それ以外にも色々です。

男の方は、そんな女性に対して、どう接すればいいのか、実のところ、有史以前から、いまだによくわかっていないと思います。女性に対して、尊敬し、恥ずかしくない男でありたい。しかし、僕は同時に、女性の美しさ、男性的な強さ、攻撃性、そういうものを、いわば、愛に対して、冷静さに対して、情熱をからめて、どうやって、表現していくか、それに取り組んでいきたいです。

 

感情というものは、決して安易なものではなくて、論理を導く大切な要素だと思うのです。けっして、大脳辺縁系という原始脳を前頭前野で制御するというような構造にあるわけではない、それはあったとしても、一つの見方でしかない。人類の進歩の中で、感情と論理は、絡まりあう赤と青の二本の糸、あるいは古の錬金術師のシンボルの2匹の蛇のように、発展していくのだと、僕は考えます。

 

論理は因果関係を構築するという意味では、直線的です。男性は弱い状態から強さを目指す言う意味では直線です。それにたいして、感情は向き合う物で曲線です。おそらく科学の発展のためにも、これからは、矛盾、曖昧な要素が、重要になるのではないかと思います。つまり、どちらも大切だと思います。

 

5.現実生活の中で、みんなが大切だという心と実践

 

偉そうなことを言いましたが、結局は普通の生活が一番大切だと思います。以降、遊戯王やアニメの話になりますので、苦手なかたや、遊戯王に興味のない方は、スルーしてください。

僕が生まれる前に、「宇宙船サジタリウス」というアニメがありましたが、この作品は普通の人の生きざまを描いた名作です(ケーブルテレビで見た)。

 

宇宙旅行が当たり前になった未来の話で、主人公たちは、惑星間の届け物や、探し物をする会社の社員兼宇宙船のパイロットです(零細企業だし、この時代では、かなり負け組)。

第一部では、伝説のアトランティス大陸が地球以外の辺境惑星にあったという仮説を立てたことで、学会の笑い者になり、自力で自説を証明しようとしてその辺境惑星に向かった教授を連れもどすために、その助手からの依頼で、主人公たちもその惑星に向かいます。

その惑星は、モンスターが出たり、巨大な食人植物がいたり、とにかく危険です。それにたいして、主人公たちは格好よく仲間で協力して乗り切るのかと思いきや、みんなで仲間割れをします。

偽善者できれいごとを言うけど、実は誰も信頼していない主人公、家族のため生活のためにと、しょっちゅう見方を裏切るその相棒、教授の恋人で、他人の危険を顧みない助手。あとへんな緑の生物。この4人で教授を探し、終盤とうとう教授とそしてアトランティスの謎に辿り着きます。

そこにはかつてアトランティス大陸を滅ぼした、アトランティスの神が住んでいました。その神は、人間にせっかく文明を与えたのに、私利私欲でくさった心をもち(神は心を読める)、争いばかりする人間に愛想をつかし、滅ぼしたと言います。

そして、主人公達もその神に殺されそうになります。その時、仲間で協力して、信頼の力を神に見せつけて、勝つんだよね。と普通ならそうなるはずなんですけど。このアニメでは違います。

死ぬ間際、主人公は、妻と生まれたばかりの子どもの事、相棒も家族の事、教授は自分の出世の事、助手は教授との恋の事(彼だけはまとまだね)、ほとんど目の前の仲間の事なんか考えません。自分だけは助かりたい一心です。

しかし、突然アトランティスの神は消えてしまいます。その後なんとか神の住む山を抜け出した主人公たちは、神が消えた理由を考えて

アトランティスの神は、永遠の平和や博愛といった、人間に崇高な理想を実現させようとして、そしてそれを実現できない利己的な人間に失望して滅ぼした。しかし、そんな人間だって、一人一人には愛する人がいた。神はいまさらそのことに気が付いて、そうとは気が付かずに、人間を一方的に滅ぼしたことに、後悔して消えてしまったんだと。

たしかに、自分達含めて、ほとんどの普通の人は、太陽のような輝き、理想は持ってはいない。しかし、そんな星屑の自分たちでも、「みんな誰かを愛してる」それがすばらしいことなんだ。そう主人公たちは考えます。

見た目こそ、ムーミンみたいですが、内容はサラリーマンの悲哀SFアニメです。正直、ひねくれた所があるようにも思えますが、名作だと思います。

 

 

遊戯王5Ds主人公の遊星とスターダストドラゴンも、もしかしたら、このサジタリウスと関係があるのかなとも思います。遊戯王の千年パズルも、みんなが大切で、みんなで世界が成り立っているという比喩ですし、友情の輪もすです。

5Dsでも囚人たちのカードを集めて、囚人をクズ扱いする署長と戦う話がありました「世の中に不必要なやつはいない」。

 

 

 

僕が遊戯王の杏子を好きなのは、小学生の時に好きだったというのもありますが、もう一つは声優の齊藤真紀さんの演技がすきだからです。彼女は今風の萌え演技をしないので、世間の評価は高くはないと思います(僕は、全話見ていたわけではないし、さらに小さいころだけど、東映番からみていたので、はじめDMやその声優さん達が、嫌いでした)。

しかし、彼女は人の心を大切にして、作っていない自分をさらけ出しているようなところがあると感じます。僕はなんどかそういう彼女の演技に心を打たれて感動して、好きになりました。

 

もっとも、もっと萌え的な演技に全力で取り組めば、本来はかなり可愛い声質の声優さんだと思ってとても残念に思すのですが(というか90年からの萌えブーム以降でも、そういう演技をする声優さんだからこそ、可愛い声を出してほしかったです。)

自分は、アニメオタクですので、結構アニメは見ています。だから、他にも素晴らしい声優さんが本当に沢山いらっしゃって

たとえば、とにかく魅力的な声にこだわるけど、そのために感情表現を切り捨てがちな人、綺麗な声でありながら、同時にきちんと感情表現に取り組んでいる人

本当に様々な人がいることを知っています(知っているって何を?何も知らないよ)僕はそういう人達を、人の心・素晴らしさ、あるいは夢や、理想を表現しようといその演技を尊敬します。それは色々な良さがあるということで、誰かを持ち上げて、それに対して誰が悪いとかそういう話ではないです。所詮一般ピープルなので、理解は浅いと思うけど。

 

しかし何の記事を書いているんだっけ? 話が個人的な方向をとおりこして、かなり個人的すぎる方向に行きました。正直自分語りが一番恥ずいです(いまさら・・・・・・いやでも萌えオタ語りはさすがに、恥ずかしい、ジャンルではなく、自分の知識の狭さと言うか、心の浅さが、それに男が女性について語るというのは、無条件でアレですね)。

 

何がいいたいかと言うと、僕は、今まで実際の生活や、創作の中でも、そういう人々を大切にする優しい心に救われてきたことが多いのです。あとは情熱ですね。そしてだからこそ言いたいことは、

「世の中の人間、生ける存在の全てが、同じく素晴らしい。そこに星屑とか太陽とかの区別はない。必要性も関係ない。普通も特別も弱者も誰もが素晴らしい=みんなが特別で普通で弱者で、大切なんだ」ということです。

そう考えると、やはり、まずは、周りの人を大切にして暮らすことが、なにより大切、一部の注目される人だけでなく、みんなで歴史をつくってきたのだと思います。ニーチェなら、ルサンチンマンというでしょうが。ならばよし、弱さから生まれる可能性を信じよう、とそう自分をやせ我慢&鼓舞して、日々の生活を送っていきたいです。

 

5.おわりに

自分の本心を書くというのは、かなり怖いものですね。第一あんまり傍から見ていて、気持ちのいい話ではないかもしれない。自分なんかが、他の人に関することを書いていいのか、常にそう思います。でも「自分なんか」は克服しなければいけない、あえてそう思い、自分を奮い立たせるために、理屈抜きで本音を書きました。しかも未分類にすればいいのに、哲学の分類で!

今回この記事を除いて、3回連続で、自分が考える哲学的な記事をあげます。この記事含めて、もし不快になられた方がいたら、即削除を検討します。読んでいただいてありがとうございました。ではまたー

 

 

 

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