「怖い話」小人祭り

 

俺の名前は幸治、小学生の時代に俺の地元で経験した怖い話を聞いてほしい。

俺の地元には、小人祭りというものがあった。これはお祭りというよりも、毎年決まった日にある祠にある祭殿のようなものに、ごちそうをそなえるという風習だ。

なんでも、昔飢饉があった時に犠牲になったお百姓を供養するためだとか、ご先祖様に豊作の感謝をささげるためだとか、色々な言い伝えがあった。ただその小人祭りのお供え物を盗み食いしたものには、たたりがあるという言い伝えだけは、みんな大人から聞かされていた。

祭りの日、俺と巧と康熙はその祠に行ったんだ。俺たちの性格とかどうでもいいと思うが、巧は、好奇心の強いいたずら好きな奴で、しかもいつも色々なことをぺらぺらとしゃべっているという、うるさいやつだった。康熙はその逆でまじめを絵にかいたような優等生、おれは特にさえないやつだった。

祠には案外あっさりとは入れたし、中もそれほど広くはなかった。米俵だの、モチだの、饅頭だの、いろいろな物がお供えしてあって、少しわくわくしたのを覚えてる。

そこまでは何事もなかったんだよ。でもそこで問題が起きたんだ。巧のやつが、おそなえものの中の駄菓子か何かを盗み食いしたんだ。
おれはとめたけど、でも巧のいたずら癖は知っていたし、駄菓子なら別にいいかと、たいして気に留めなかったんだ。もちろん俺は怖いからビビッて盗み食いなんてできなかったよ。それは康ちゃんもおなじだった。俺たちは名前が似ているから、お互いをこうちゃんとよんでいたんだけれども、成績とじょしうけの方は、だんちだったな、まあそんなことはどうでもいいか。

でその日はそれで、家でゲームとかして過ごしたんだよ。でも翌日から少し様子が違ってしまったんだ。巧がさあ、熱を出したんだよ。お見舞いに行っても何か怖い夢を見ているのか、すごくうなされていて、その熱が全然下がらないらしいんだ。病名もわからなかったし。

で、おれたちは家の大人に、殴られる覚悟で、小人祭りのことをげろったんだ。でも、たたりなんて本気で言っていたわけではなかったらしく、誰も相手にしてくれず、怒られ損だったよ。

巧が熱を出して10日目のこと、俺たちは自分たちで、調べることにしたんだ。もう呪いだと俺たちは信じ込んでいて、呪いを解く方法を探しに行ったんだよ。今思えば神社に行けばよかったのかもしれないけど、図書館にいってさ。

でも俺普段勉強とかしないから、何から調べたらいいか、それは康ちゃんもおなじだった。勉強はできてもこういうことはからっきしなのはみんな同じだった。
でもさすがは康ちゃん、かれはわからないなら聞けばいいと、司書のおじさんに話を聞くことにしたんだよ。

そしたら、おじさんは、うろ覚えなんだけど、こんなことを言ったんだ。

そうか、そんなことが、坊やたち、あの飢饉はいやあの飢餓は実際には天災じゃなくて、人災なんだよ。だから呪いとか、信じられないけれど、いたずらをしたらなにか、悪い影響があってもおかしくないな。
私も歴史を学んだだけだが、あの当時じつは飢饉があっても、多くの人々がうえないほどの食べ物はあったんだよ。でもね、侍や商人や、地主、本百勝に食べ物をを取られてしまったら、なにも食べる者の無い人たちがいたんだよ。それが小作人とか水飲み百勝とかいう人たちでね。飢饉はみんなに起きたけど、飢餓はその人たちにだけ起きたんだよ。

だから、小作人を鎮めるまつり、小人祭りというんだろうな。

学校ではそんなこと習わなかった。と俺は聞いたよ

それはね、力を持っている人たちは今でも、変わらないからなんだよ。おじさんだって、君たちだって、その力を持った人に協力していきているんだ。仕方ないことだけれど。当時小作人の人たちを殺した人たちの祖先がいまもこの土地を支配しているから、そんな歴史を教えるわけにはいかないんだよ。

だからね僕たちにできることは、お百姓さんの幸せをいのること、悪さをしたら、謝る事なんだよ、わかったかな。おじさんはそういったんだ。

おれたちは答えを見つけた気がした。いそいで、プラモをかうはずだった金で菓子をかって、祠にお供えして、一心にあやまったよ。もちろんもうたの食品はなかったけど。

そんな甲斐あってか、巧は徐々に回復してさらに一週間ぐらいしたら普通に登校できるようになったんだ。だいたいこんなところでおちもないし、幽霊もでない。

でもなんとなくだけど、これは呪いだったんじゃないかと今でも思っている。巧がうなされてたいた夢の内容だけは今でも話そうとしないから。

 

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