「遊戯王?」運と確率について

 

 

今回はかなり適当です。少し文章を書きたい気分なので書きます。そしてこの記事にかんしては、人生は運ゲー云々等の話と関係づける意図はありません。カードゲーマーあるいはギャンブラーとしての運や流れに関する意見です。

1.運=確立?

昔、運=確率なので、ギャンブラーがいう流れ等はただの錯覚だという意見を聞いたことがあります。数学の偉い先生が言っていた気がします。

その他に類似した考え方として、運=確立なので、人生においてみな持っている運の総量は同じであり、出来るだけ試行回数を多くすることが大切である(確率は収束するのだから)。ようするに人生はどれだけチャレンジしたかが大切で、運がいい人はチャレンジした人で、悪い人はチャレンジしなかった人なので、自業自得なのだという意見も目にしたことがあります。

結局当てこすりみたいになってる・・・・いえ出来るだけ試行回数を多くした方が良いという意見には賛成ですし、自業自得云々はここでの主題から外れるのであくまでノーコメント。

これらに共通するのは、運という言葉あるいは概念を=確立であると考えて、人によって運の差なんかないんだとそう考えていることです。なにこのトートロジー感。

2.僕が考える運

しかし、僕は上の様には考えません。また多くのカードゲーマーやギャンブラーも上の様には考えないと思います。実感として運や流れは存在すると。

 

例をあげて説明します。

あるところにサラリーマンのAさんとBさんがいました。ふたりは別々のところに住んでいて、週5~6日朝出勤します。ある日いつもどおり、AさんとBさんが別々に道を歩いていると、Aさんは何事もなく会社につけましたが、Bさんは空から降ってきた隕石に押しつぶされてしまいました。

道を歩いていると、隕石が落ちてくる確率は、よくわからないけれども、かなり低いはずです。100億分の一とか? それがAさんにはおこらず、Bさんにはおこりました。

この時あきらかに「Bさんだけ運が悪い」と言えます(死後の世界があって、そこの方が良い世界だったらそうでもないかもだけど)。

いやいや何を極論言っているんだという感じですが、別に隕石でなくてもいいんです。ようは、僕が考える運とは、たしかに確率に左右されるとして、しかし、それが誰に、いつ、どこで・・・・・適用されるかということで、ようは確率とその適用のあり方だと考えます。

 

上の例は少し簡略化しているので、自分で操作できる確立と操作不能または難しいかもしれないその適用の在り方との関連を見るために、カードゲームの例を出します。

たとえばAさんとBさんが大会にでるとして
Aさんは90%の確率で安定し、10%の確立で事故るデッキを用意しました。
Bさんは50%の確率で安定し、50%の確立で事故るデッキを用意しました。

(事故というのは、ありえないほど良くない手札の事)

どう考えてもAさんの方が有利ですが、大会で優勝したのは、奇跡的に分回ったBさんでした。Aさんはなぜか、その日に限り手札がかみ合わなくて、あと一歩およばずでした。

何故でしょうか。これはBさんがその日に限って、良いほうの50%を引きまくり、逆にAさんはありえないことに、10%の不安定な部分をこの日に限り連続で引き当ててしまった結果です。

もちろん、試行回数を多くすれば、当然Aさんの勝率が高くなります。しかし、ここぞと言う時に、安定性が発揮されませんでした。

 

この時、我々がカードゲームに関して、考えられる二つの運、というよりも操作可能な確率の問題と、操作可能か不可能かわからないが不可思議な運の問題、その二つの関係が見えてきます。

 

3.カードゲームにおける確立と運の関係

 

カードゲームをやっていると、明らかに起こるはずのない事故という物に出くわします。そしてそれが繰り返し起こることも。

しかし、おこるはずのない事故などありえませんし、そもそもとらえ方によっては事故と言う考え方が不適切です。なぜならデッキに自分で入れたからです、最初から入れたんだから来るのが道理です。

そして都合の悪い手札や引きが頻繁に起こる場合は、それはデッキの安定性が低いということです。しかし、オリジナルのデッキ等だと、自分の思い込みで、安定するはずだと思いがちなので、理不尽に感じてしまう、つまり思い込みをしてしまうということがあります。

僕もよく、オリジナルのデッキで、安定するずだと思って、良くない手札になっては、俺はどうせ運が悪いなんて愚痴るのですが、これはなんてことない話で、ただ確率の問題にすぎません。自分で安定しないデッキを作って、それを運のせいにしているのですから、まさに反省するしかありません。

つまり、カードゲームにおいて、確率は正直なもので、試行回数を重ねた結果そのデッキが安定しないならば、それが現実であり、もし勝ちたいのなら、安定性の高いデッキでいどむべきであるという、ただそれだけのことです。これが操作できる確率の問題です。

運=確立という意見が、このことを言っているのだとしたら納得です。

 

しかし、カードゲームの大会等で、普段は勝てる人が、緊張とか関係なく、よくない手札だったり、逆にあまりうまくない上に、デッキも一発狙いだったりする人が、優勝してしまう等のことはあり得るのです(極端な例えなので、説得力なかったらもっと別の不運、例えば大事な時に怪我をする等でも)。

これは確率が、いつ、どこで、だれに・・・・適用されるかという問題なのです。いくら自身で計算しつくして、万全の体制を整えても、丁度その時に、都合の悪いことが起こるということがあるのです。

人事を尽くして天命を待つ。

人事を尽くすことで、確率を上げることが出来ます。しかし天明という運がそこには絡むということです。万全に計算しつくして高めた勝率が、思わぬところで狂うということは低い確率ですが、あるのです。

ですから、運=確立というのは、僕は部分的にしか正しくないと考えます。確率はあげられるため、その点は努力が必要ですが、天命の部分も含めて、カードゲーマーやギャンブラーが考える運であり、それにあやかったり、克服したりする力がほしい所です。

4.運を楽しむことの重要性と駆け引き

ハースストーンと言うカードゲームには、ランダムにデッキ外からカードを表示された中から3択で拾う効果が数多く存在します。

ランダムですので、3択に現れるカードの質によりかなり戦力が左右されるし、その3択の中にも強弱があります。しかしこのカードゲームでは3択の中で一見強いカードを選べば勝てるというわけではないのが面白いところです。

エリシアーナと言うカードは、召喚時、全カードプールから3択での選択を5回繰り返し、それを組み合わせて、10枚のデッキを創る効果をもっています(同じカードが2枚ずつ)。デッキ0の時に発動すれば、デッキ切れを防げるので、かなり強力なカードです(ハースストーンは普通の対戦でデッキ切れが起こるほことが良くあります)。

 

この際に3択の中から強そうなカードのみを選んでも勝てるものではありません。相手の残りの戦略、その狙いを見極めて、また後の3択ででそうなカードとの相性も見極めて、カードを選択していく必要があります。

 

つまりこの際には、出来るだけシナジーしそうな噛み合わせを、予想して選択するという確率のプレイングと、そして相手の戦略を予想したり、けん制したりという駆け引きの両方があるということです。

これはマージャン等も同じだと思います。ただ確率や強い手にそうのではなく、相手との駆け引き、見えない未来を、セオリーによらず手繰り寄せる、そういう運を楽しむプレイングが重要になってくるのです。

僕は人生は運ゲー?的な記事を書いていますし、引き寄せの法則とかいうビジネス啓発法則は信じていません。しかし運というものが、そもそも奥深く、その理不尽さに反吐が出る思いであると同時に、勝負においてその妙味に見せられている部分があります。

(引き寄せの法則の元ネタは、アメリカのニューソート思想です。物質至上主義的な世界観にたいするカウンターカルチャーとして、人間の精神的な可能性を探る取り組みの中から生まれたものです。色々な神秘主義や心理学とも関係しています。ニューソートでは、人生において起きる出来事は自身の潜在意識と関連しいるという発想で、そのためポジティブシンキングを心がければ、良いことが起きると考えます。

この取組事態は僕は肯定的ですし、オカルト的なものは僕には判断できないので、あえて否定するつもりもありません。ポジティブにしているだけで幸せになれるなら、難民の餓えや犯罪被害も、気持ちの問題になってしまうとは思いますが、それは過度な一般化で、そういうことが言いたいわけではないでしょう。

しかし、外国から借りてきて、いかにも自分で生み出したような名前を付けて、お金もうけするのはどうなの?)

 

 

そして、ここまで書いて思ったのは、流れについて何も証明できていないというね。まあ見切り発車でかきだした文章なので、仕方がないのだけど。

今迄の話は、おこった出来事の事後的な評価で運がいい悪いといっていただけで、未来においてある特定の事象が起こる、それを予感できると言う意味での流れの存在はまったく示せていません。というか未来予知とその法則を見つけるとか無理ゲーやん。

結局何も言えていない気もするけど、今回はこんな感じで丸投げして終わりたいと思います。見ていただいてありがとうございます。ではまたー

 

 

 

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