私は今年27歳になるOLです。これからの話はまだ私が幼いころ、小学生の時の記憶です。
私は小学生のころ変わった子供で、誰もいない場所や空想の中の人物とよくお話をしていました。今ではかなりおぼろげですが、その当時はたしかに誰かとお話をしていたと思うのです。
まわりの人達はそんな私を、不思議がりながらも暖かく接してくれました。でも実は母とだけは、私はあまりうまくいっていませんでした。
私は母親にコンプレックスをもっていました。他の子の母親はみな若くて綺麗なのに、私の母親は、大柄であまり身綺麗なほうではなく、まさしくおばさんといったかんじで、私も将来そうなるのかと恐ろしかったのです。その当時は、人より太目ではないのかと、自分の足や手をさすったり、見返したりしたものです。
それに母親には、とても理不尽で感情的な所があり、理性的で温かい父と比べて、私は女性というものに、大人になることに嫌悪感をもって、私は自分が何もない透明な零の存在なのだと言い聞かせていたのです。
ある日母親に理不尽な怒りをぶつけられて、私はついにたまりかねて、逃げ出しました。
田舎道を夢中で走っていると、いつの間にか見たこともない林道に入っていました。私は不安になりましたが。少したって、「でもよく考えれば、それほど遠くに行けるわけがないのだから」と気を取り直しました。なんとなくそこはすがすがしい道で、引き返す前に少しだけ、歩いてみることにしました。
そうすると、道の右わきに、そこだけ少し整えられたというか、少しくぼんだというか、そういう場所を見つけました。私は休憩用の場所かなと思ってそこに座ろうとしました。そしたら後ろから「そこ、お地蔵さんがあったんだよ」と声が聞こえ、私はびっくりしてふりむきました。
そこには私と同い年ぐらいの、優しそうな表情の男の子が立っていました。私は安心して、むしろ、泣きはらした顔や、知らない子の前で少しびくりとしたこと等を見られたのが恥ずかしくなって、やや強気に「どういうことかと」聞き返しました。
男の子が言うには、そこは、昔お地蔵さんがあって、それはその下に眠っているとんでもないお宝の番人として守ってくれていたのだけど、でも何かの事故か、それとも狸にでも盗まれたか、お地蔵さんはなくなってしまったのだと、そういっていました。
その言い方が少し面白くて、気を許しあった私たちは、その後も色々とおしゃべりをして、すっかり友達になってしまいました。隠されたお宝の正体だとか、学校の事とか色々な事を話しました。
どれくらい話したかはわかりませんが、私は暗くなる前には帰らなくてはと、男の子と別れることにしました。男の子の住んでいる所を聞いていなかったので、それを聞こうとしましたが、男の子は、「またね」といってそのまま私の家とは反対方向に行ってしまいました。だから私も「またね」といって、どうしてだか、彼とはまた会えると、信じていました。
その時私は、「でもよく考えたら、この街というか村というか、そんなに広いものじゃないし、男の子は他の学区で、きっとまた会えるには違いない、むしろ会えないと考える方がおかしいのだ」なんて考えていました。私はその時少しずつ自分の中で何かが変わっていくのを感じていました。それはまるで、風が吹いて、霧が吹き飛ばされるような、さわやかででも寂しい感覚でした。
来た道を行き帰すと見知った道に戻れました。その日は、一応私から母に謝り、御小言も少なく、なんとか家に入れてもらえました。
私の中では、その日はもう、怒られることよりも、うきうきとした気分のほうが勝っていたので、それが良かったのかもしれません。でもその後結局男の子の姿を見かけることはありませんでした。
成長するにつれて、あんなにはっきりとした彼もまた私の幻想の存在なのかと、かつて幼いころの私がそういった存在をみていたのだと、過去を振り返り、はじめて認識をするようになりました。私は中学に入るころには、すっかり現実主義者になっていったのでした。
でも今思い返すと、私の幻想が、現実と違うものだとしても、それがそのまま嘘にはならないのだと、私はひそかにずっと思っていました。
そう思うには理由がありました。男の子とであってから私は不思議な幻想の子達とであることがだんだんとなくなっていったのですが、でもそれでも、何回かそのような子達と一緒に遊んでいるという感覚をもつことがあったのです。
話は小学生のころに戻ります。その当時、私の住んでいる地方はやや田舎なこともあり、家同士の交流が現代としてはかなり活発でした。友達どうして遊んだ後に、だれかの家のお母さんが、スイカとかおやつをくれて、皆で食べるということをしていました。
その時に、お母さんが子供たちに人数を聞いて、仲間内の誰かが答えるのですが、人数が実際の数よりも一人多いということが何回かありました。たとえば、5人の友達で遊んでいたのに、お母さんには、6人だと伝わっているのです。
そういうことがあるたびに、皆私のほうをちらりと見るので、「もう私を不思議ちゃんにしないでよね、だれかが自分自身もかぞえて申告しているんでしょ」なんて言い返していました。
そすると、反応はまちまちですが、お母さんによっては一人多い人数分おやつを用意してくれるのでした。私たちもそれをなぜだか、それほど不思議には思えなかったのです。
私の不思議な体験自体はこれでおわりです。でももう少しだけ話を続けます。不思議なこととは関係ないかもしれないですが、私に強く印象が残っていることです。
私は、その後も母との軋轢は完全には消えませんでした。今でもたまに衝突することがあります。でもある時を境に、いえそれは決まりきった時点というわけではないのですが、私は母の気持ちが少しわかる気がしたのです。
あれは私が恋人にふられて泣いていたときかもしれませんし、ちがうかもしれません。泣いている私に、母が私を産んだ時の事や、そして私の兄を堕胎してしまったことを話してくれました。
母は、私が不思議な事を言うたびに、うまれなかった赤ちゃんを思い出して、怖かったのだといいました。自分が、自分で殺してしまった赤ちゃんのことを思い出して、心が痛かったのだと。
私は、自分の前に兄がいたことも知りませんでした。それに母もまた怖がっていただなんて、考えたこともありませんでした。
母はどのような境遇であろうとも、一つの命を自分で殺したことが、怖かったのだと。父親になるはずの男は去っていき、自分一人取り残され、でも裏切られたことよりも、自分がしたことが、仕方がないことだとしても、どこかで自分自身が怖くて、許せないのだと。
その生まれなかった兄があの男の子なのか、私には解りません。ですが私は今は兄と共にいる気がします。兄だけでなく、いないはずなのにいる者、いるはずなのにいない者と共に。
私は成長するうちに、いさかいや、裏切り、失恋、色々な傷を負ってきました。そのたびに悲しくて、人を傷つける人の心が怖くて仕方がなかった。あの時も、失恋よりも、それを恐れていたのです。そして、それは自分の心もそうだから、それが悲しかったのです。
でも、母のこの話を聞いて以来、いいえそれから少しずつ時を重ねて、私は、もう傷を、そして無を、人の心を、恐れないようにしようと思いました。
いえ、私は傷も無もいまだに、怖く思います。ですが、それと共に生きようと、それを大切にする中に優しさがあるのだと、そう思うのです。