【読書感想】マインドマップを用いた「絶望の精神史」の感想改訂版


 

どうもRAIMEIです。この記事は、前回前々回の記事の続きでもあります。まずは、絶望の精神史の内容をマインドマップにまとめて、その後それに沿って文章を書くことで、短縮化・抽象化できるかどうか、試してみます。

なお、パワポで作りましたので、線が曲線じゃないけど、めんどかったから、気にしないで。

 

「読書感想 絶望の精神史」 金子光晴(高名な詩人)

 

 

 

 

1.コンセプト(火)

 

筆者が体験した日本人の精神と絶望を描き、その特徴を、日本の風土や時代(江戸、明治、大正、昭和)から説明しようとした本です。

日本の風土の特徴として、湿潤で島国ゆえ逃げ場がなく、

時代の特徴として、合理主義よりも、天皇を中心とした義理人情の枠組み明治以降の政府が採用したことを取り上げています。

これらの影響により、日本人は、御上に逆らえず、人の目を気にし、暗い人情話(因果応報の仏教話、仇討等の物語)が好きな民族であるとされています。

 

「明治精神を作り上げる根固めとして、日本人は、天皇を中心とする義理人情の結束を強めるために、合理精神のかわりに、神秘主義、つまり亡霊の世界を呼び出してきたからであろう。それが小国日本のただ一つの手持ちの駒だったのであろうが、古い草を刈り取ったつもりで、新しい藪を茂らせたことも否定できないであろう」

「日本人の湿っぽい心像を培養土としてはびこったものは、『今昔物語』などに現れた、あのおびただしい仏教の因果話であった。仏教経文の調子は、次第に、貧寒で、うらぶれた悲しいものになって、日本人の心情の虚をつかみ、現在の歌謡曲のメロディにまでもちこされている。」

(以下引用ページ省略)

 

2.話の流れ(水)

統計等はなく、あくまで、著者の体験から、帰納的に精神・絶望の特徴と、風土・時代の影響を分析する方法を取っています。

①髭の時代

江戸から明治に変わる中で、それに取り残されたもの達の絶望と葛藤をえがいています。

また、御上の役に立たない人間や堅気の人間以外は価値がないという刷り込みがある父親と、哲学や自由恋愛にふける若者、その二者の葛藤もえがかれています。

「父親が、息子たちを手元から奪い去り、ダメにしてしまう敵として、警戒し恐れたものは、文学、結核、社会主義、恋愛の四つであった。

~父親たちは、良い跡継ぎであり相談相手でもある息子たちを予想していたので、裏切られたことを悲しみながらも、突っ放す。それは昔ながらの人形浄瑠璃のさわりの世界である。そして、お互いのもどかしい理解の遠々しさを覆うために、軽蔑とおそれで向かい合う。父親たちはおおむね、世代から遅れていて、彼らの理解は碩友社あたりの人情モラルに止まっているのに、息子たちは、むやみに先に突っ走って、チェホフの『熊』の主人公グリゴ-リ-・スミルノフルのように、真実を告げることで、不幸と破滅に終わることがみすみすわかっていても、それに忠実でなければならないというような時代のムードのとりこになっていた。若さの誇りとして、彼らにしてみれば、それは、変えがたく貴重な物であった。」

 

②西洋の中の日本人(マップでは短縮して洋行者)

ここでは、時代が対象に移り、西洋精神文化に対して知識人が抱いたコンプレックスについて語られます。

日本の文化を西洋と比較しては、西洋人に生まれ変わることも出来ないと嘆き、一方では、東洋の文化に強い愛着を持ち、そしてそれに気が付いたころには、すでに、江戸にあった文化は、すてさり断絶してしまっているという、三段階の絶望が描かれています。

また、多少章が前後しますが、海外に渡航した日本人の精神として、海外にいっても、天皇陛下に忠誠を誓い、日本軍の勝利をいわう姿から、彼らが以下にそれを依存の基盤としてもっているかと言うことが、描かれます。

「僕は、しみじみと日本に生まれたこととを悔やみ、丸い鼻、黄楊色の肌に、取り返しのつかない自己嫌悪を覚えるのだ。僕の眼はキラキラした西洋文化の前で、目がちらついて、はっきりよしあしを選ぶゆとりをなくしている。

~当時の僕の考えでは、日本が日本であることを忘れ、味噌汁に切干が浮かび、踵のちびた下駄をぬらしながら電柱にむいて放尿し手いる現実などは、紙屑か砂でうずめた無益な隙間にすぎなかった。文化人とよぶ同好会の仲間と、外国について語り、見聞を広め、そこの蜃気楼に住むことだけで、人生はたちどころに十分生きるに値する楽しい所となったのである。

~あのうすぎたない自然主義の小説を見るがいい。日本人の鼻先に、汚れた猿股や靴下を突き付けた時、それらを突き付けたその男は、もはや日本人ではないつもりなのだ。

~ましてあの傲慢な西洋人どもが、猿が人のまねをするときは、喝采してほめる代わりに、その猿が人と対等にふるまうようになるのを、絶対に許さないことなどは、気が付いたこともない。」

「毛唐の庭なんて、子供の遊び場ですよ。あんなものは、庭とは言えない。毛唐だって、ばかじゃないし、日本庭園のいいところはわかるんですね。それでも負け惜しみが強いからね。なかなか降参しないですよ。はっ、はっ、はっ」

 

③焦燥する東洋鬼(マップでは東洋鬼と略)

ここでは、昭和以降、日本人がさらなる絶望にひた走っている様子が描かれます。

日中戦争の描写がメインで、庶民が戦争に乗り気でないのに、軍部が怖くて、批判出来ない空気や、アジア人のためという美辞麗句で中国を攻撃する一方、残虐行為や金儲けばかりを追求する軍部や権力者、そしてその洗脳により、虐殺の当事者となってしまう、元は善良だった日本の青年の狂気の状態などが描かれています。

また、これらを暗示させるエピソードとして、関東大震災を取り上げ、普段はおとなしくて目立たない人が、狂気しここぞとばかりに暴れて、在日朝鮮人等を攻撃する描写がなされています。

 

「(谷川という紳士)中国はこれから日本の支配をうけ、その恩恵で内戦から逃れ、新しい中国に生まれ変わるのだと言った。蒋介石は来年の六月ごろには降旗をあげ、日本は欧米を威圧して、世界制覇を完成するだろうと、どこかできいたような所説を、得々とのべた。」

「早川(二郎)は日本の投資家に対して、とりわけ厳しい怒りを燃やしていた。戦場での敵味方の打ち出した砲弾の殻を、一手で回収する権利をつかんだとかで、『三井ともある日本の大財閥も、死人の金歯をとる隠亡にいつ成り下がった?』とののしった。そしてその余禄でわずかな振る舞い酒にありついて、尻尾を振っている軍の幹部だなんて、哀れなやつだと放言した。」

「部隊長たちは地域を占領するなり、王侯の楽しみに溺れてうごこうとしない。戦線は、膠着状態となる。~また、宣伝班たちは、内地からの視察団を、軍用トラックで運んで戦跡めぐりをさせるコースもちゃんと決めていた。」

 

3.分析(風)

ここではストーリーに対する著者の論理を記述します。また、今回は省略しますが、登場人物、もここで紹介します。

全体の流れ(水)にたいして言葉で分節する感じです。コンセプト(火)と違うところは、それを具体的に検討するということでしょう。

 

①なぜ日本人がこれほど葛藤したあげく、結局戦争に突き進んでしまったのか?

時代の精神と風土の影響として、明治期の物質優先主義から、大正期のデモクラシー、昭和の軍国主義と移り変わっていく中で、いかに大正期の自由な精神がねづかなかったか、と言うことが語られます。

つまり、日本人の根は、風土から培われた、御上に依存する精神と、暗い同調圧力等でなりたっているので、少しぐらい自由な雰囲気や意識が芽生えたとしても、それは付け焼刃で、震災や恐慌等、なにか弾みがあると、結局は、仮面で隠していた顔が出てきてしまうのだと、そう分析しています。

 

4.学び・結論(地)

 

ここでは、著者の結論を書きますが、あらかた出尽くしたので、RAIMEIが読んだ感想等も書きます。

①絶望とはなにか?RAIMEIの感想

人の絶望は、風土・時代に強く影響されるようで、日本人の場合は、同調圧力や、権威主義、依存主義のようですが、具体的なストーリーを追っていくと感じることは、それは自己の欲望との葛藤でもあるということです。

つまり、環境からの要請と、自己の欲望がひどく食い違うことで、絶望は生まれるのではないかと思うのです。

絶望の精神史なので、絶望が精神とつながっていることは、当たり前なのですが、戦争でも正直にいうと、物質的窮乏よりも、明らかに他者との関係により、絶望が作られています(もちろん、虐殺や飢餓等はもっと悲惨ですが、それも人間関係が発端となっている)。

絶望しないためには、この環境や、自分の心に働きかける技術が必要で、またそのためには、自分の心や社会の状況をよく分析できるような状態が必要ではないのかと、愛し合いながら憎しみ合う親子等の描写をみて感じました。

そして絶望が、人間を動かすならば、それは欲望、希望と表裏一体のものでもあるのだと思います。人は幸せのためにいきているのか、それとも絶望のために生きているのか。そのどちらもか、そうも思いました。

 

②因果関係・記述の正当性の問題

著者は、他人の絶望を予想し、日本の環境と結び付けて、論理を構築していますけど、それが信頼に足るかと言うと、いまいち自信がないです。

また戦争の記述等も、右翼左翼陣営で、主張がまったく違うので、うのみにするのは、危険かもしれません。

ようは、書いてあることが、正しいのかと言う問題です。

 

そして、これは、おそらく全ての読書について、言えることだと思います。もし沢山努力して読書しても、書いてあることが嘘だったら、ほぼ意味ないですもんね。

しかし、それを裏付ける方法ときたら、まるでない。なぜなら、現実を見てきたわけではないから。それに今生きている現実の光景すらも、脳が作り出した幻かもしれない。結局人は疑うとどうじに・信じるしかない。

 

本著の記述や因果関係が、信じられるものなのかということですが、あくまで暫定的ですが、歴史の法則性や、人間の態度に関する法則、等を基準に、過度な一般化を避けるという視座の元に検証するべきだと思います。

 

たとえば、ケント・ギルバートさんの、日本ヨイショ・嫌韓本は、雑な論理が多く、引用も身内で固めており、その執筆態度から信じるに値しません、お小遣い稼ぎが透けて見えます(ケントさんごめんさない。別にアンチじゃないよ)。

 

個人の感想としては、この本は、全面的にではないが、ある程度は信頼に足るのではないかと思います。戦争時の兵士の心理等、把握していると思えますし、同調圧力や権威主義は今の日本人も変わらないと思うのです。

右翼の人からは、「大東亜戦争はアジアを解放した素晴らしい戦争で、個人の経験から全体を見るとは、視野が狭い」と怒られそうですが。

しかし、それもまた、ある一方から見た理屈であり、実際に戦争があったのなら、罪なき人たちが殺されたり、搾取されたりしたのも事実ではないでしょうか?

その人たちから、したら、無条件に戦争は悪いです(と思います)。そして、その人達の命が、その人たちが生きることが出来た未来が、この今よりも価値がない、必要な犠牲だったというのなら、それもまた主観でしかないです。

勿論過度な一般化により、この数百年、あの白人とのたまう、悪魔たちが、やったことと、同一視するのは、危険だとも思います(いい西洋人もいます、歴史がゴミ)。

しかし、結果的に、アジアが建前的に独立できたからといって、かの戦争が、聖戦だったなどと言うのは、それも主観です(話題ループしてない?)。

結果がそうであったとして、しかし内情が、特攻兵器で自国の若者を殺し、自分は生き延びた将校や、金儲けのために戦争をしていた鬼畜、そういう人間が大勢いるのなら、それでも、右翼の人体の言う、因果関係が本当につながりますか?と言いたいです。

物理法則じゃあるまいし、価値観が入り込む因果関係は主観がはいります。僕も馬鹿なのですが、考えるって、言葉を暗記するのではなくて、そういうことだと思います(僕はマジで馬鹿です。偉そうなこと書いてすいません汗)。

僕は、いわつる「右翼」の人のいうところの、いわゆる「左翼」の人ではないです。 イデオロギーは頭の中にある物で、現実をそれのみで説明できると思いこむ人は、純粋すぎる。それは良くも悪くもあると思いますが。

まあ、しかし、だからと言って、日本アジア解放貢献論を全面的に否定するつもりもないですし、この本は時代的に、一億総懺悔の左翼的な本だとも思うので、バイアスはありますが、全面的に信頼するのではなく、出来るだけ論理的でいたいし、感情的にも深いものを持ちたいということです。

正義の名のもとに、人を裁く人間は「悪」だと思います。

以上になります。なんか偉そうな文章すいません。底辺が自分の意見を言える数少ない場所だから許してね。

 

 

と言う感じです。文書がかなり減ったうえに、余計な感想以外は、内容もすっきりしていると思います。結論としては、マインドマップの効果はありそうです。

今後も、このやり方を利用して、本をまとめていきたいと考えています。こんどこそ、おわりです。読んでいただいてありがとうございます。ではまたー

 

 

 

 

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