【読書感想】「絶望の精神史」 金子光晴

 

お久しぶりです。忙しくて、あいかわらずさぼってました。リンクス&マスター少しは、やっているんですけど、ブログまで書く時間はなかったです。

今回は、高名な詩人である金子先生の「絶望の精神史」の読書感想です。

実は、この感想自体は半年前から完成していたんですけど、本の内容がどれも重要に思えて、引用しまくっていたら、いつも以上に量が膨大になってしまい、「これではまとめにならない、時間がかかりすぎる!」と悩んで寝かせておきました。

最近これを改善するために、「マインドマップ」と言うものを使って、効率的にまとめる方法に取り組んでいるので、

今回は半年前に書いた長いバージョンを掲載して、次回以降の記事で、マインドマップの詳細と、それを活かして作成した短いバージョンを掲載して、その効果を検証しようと思います。

 

1.本の概要

「日本人の精神性を読み解く-絶望を風土と近代史にむすびつけて-」

本著は日本の風土や時代(主に明治・大正・昭和)から、日本人のその絶望的な精神性を説明しようとした本です。しかし歴史的に総括をするというよりは、著者が見てきた色々な人の絶望を回想して、そこから帰納的に日本人の源流に流れるもの、あるいは時代の精神を読み取ろうとしています。

結論として、共通の土台は、日本の風土と時代によって醸成された、将軍・天皇等、御上に忠誠を誓う等の他者依存的且つ排他的な精神であるとしています。

「~僕の知りたいことは、日本人の持っている、つじつまの合わない言動の、その根源である。例えば、今度の戦争にしても、人身の裏切りの速さは、見事といってもいいくらいだ。あれほど、アメリカやイギリスを憎み、米英にけものへんをつけて「」などと書いていた連中が、途端に親米・新英の旗手になった。また、皇居に足を向けて寝なかったような人間が、船を乗り換えるように共産党に大量入党した。

~表面では恬淡として、無欲な日本人、無神論者の日本人。だが、その反面、物にこだわり、頑固で恨みがましく、他人を口やかましく非難したり、人の世話を焼くのが好きなのも日本人である。それらの性格が、どんなふうにもつれ、どんなふうに食い違ってきたかをながめ、そこから僕なりの日本人観を引き出してみたいのだ。

~そこで、僕が生きてきた70年の人生を同伴してくれた身近の人たちを、三人、五人と記憶から引き刺してみようとした。~」

(本文より引用、以下略)

「明治精神を作り上げる根固めとして、日本人は、天皇を中心とする義理人情の結束を強めるために、合理精神のかわりに、神秘主義、つまり亡霊の世界を呼び出してきたからであろう。それが小国日本のただ一つの手持ちの駒だったのであろうが、古い草を刈り取ったつもりで、新しい藪を茂らせたことも否定できないであろう」

「日本人の湿っぽい心像を培養土としてはびこったものは、『今昔物語』などに現れた、あのおびただしい仏教の因果話であった。仏教経文の調子は、次第に、貧寒で、うらぶれた悲しいものになって、日本人の心情の虚をつかみ、現在の歌謡曲のメロディにまでもちこされている。」

2.髭の時代(江戸→明治)

時代に取り残された頑固者

前半では、江戸から明治へと時代の変革期にあって、古きものにしがみつく人々と、新しきものに飛びつく人々の、葛藤について書いています。

江戸と明治とでは、多くのものが変化し、それに人々は翻弄されましたが、その象徴として、明治時代に海外の影響で流行したひげを切り口にしています。

下記の例を見ても、外面が変わっても、御上に逆らえず、お国のため、という言葉には非常に弱く、それを精神的主柱にしているという点が見えてくるはずです。

・野間先生、藩の軍学師範の息子

著者が通っていた高校の先生で、古い儒学の規範を最高の真理だとして、西洋的な野蛮な文化に染まっていく日本を憂いて、しかもその高校がキリスト系の学校だったものだから、立場も低く、貧しい生活をして、定年後には、気がふれてしまった人です。

 

・長谷川のおじさん、政府に反抗した彰義隊の落ち武者

この人は旗本出ですが、明治になってから髷をそって、吉原の太鼓持ちになって、それを辞めてからは、孫娘に世話をされて死んだとのことです。江戸時代を引きずっている人で、神や仏を信仰し、おごる薩長は海の藻屑になる、将軍家を売り渡した勝海舟は地獄に落ちている、ということを信じていたようです。

とにかく明治と言う時代が大嫌いで、その文化も嫌いで、西洋風の物は身辺に一切おかないようにしていたので、身の置き場もないほどだったそうです。

「たとえば、野間先生は戦争を強く肯定し、日韓の併合を快事としてよろこび、いずれは万世一系の天皇が、世界を征服して王道を敷くときが来なければならぬと、よその国にとっては、まったくいわれのない、そんな言葉を学生たちに放言した。」

 

哲学や恋愛に悩んだ青年達

西洋の精神文化を受け入れ始めた新進気鋭の向う見ずな若者たちが、それまで日本人と無縁だった、哲学・文学・異性との純愛と言ったものに触れて、その理想、不可解さに、ショックを受けてのめりこみ、現実とのギャップ、理解を示さない古い社会や父親との葛藤に、苦しむ様子が描かれています。

 

・藤村躁

華厳の滝で自殺した東大生 木に彫った哲学的遺言「巌頭之感」は有名。

悠々たる哉天壌 遼々たる哉古今
五尺の小躯を以て此大を測らんとす
ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチーを価するものぞ
万有の真相は唯一言にして悉す
曰く不可解
我れ此恨みを懐いて煩悶終に死を決するに至る
既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし
はじめて知る 大なる悲観は大なる楽観に一致するを

意味は「人間ごときじゃあ、どんな権威ある知識も無意味で、宇宙の神秘は結局不可解、それですごく悩んだ」というようなことらしいです。東大生が哲学的な理由で自殺したので、話題になり、多くの模倣者が現れたそうです(なお本著では名前のみの登場です)。

 

・柳ヶ瀬直哉(著者の友人)

讃岐の郷里の風物を憎み、息子を引き留めたい父親と喧嘩別れして、そのご自暴自棄の放蕩にふけったのち、結核により20そこらで死んだ人です。

 

・前島宗徳とその家族(著者の友人)

彼の家系は江戸時代には、医者と儒者を務めていましたが、そのころは落ちぶれ始めていて、家族は給料の良い朝鮮半島に赴任していました。日本にのこり早稲田大学に通っていた彼は、ニーチェに影響されて、哲学を専攻するために、その許可を取ろうと、わざわざ朝鮮半島にある家族の家まで雪の中を歩いていきます。

しかし、哲学の道に反対し激昂した父親が、日本刀を抜いて嚇しつけ暴れるほどに大喧嘩になり、妹二人に助けられ、なんとか逃げだします。

失意の帰国後、彼は自分が超人であると口走るようになりますが、しばらくして気弱になり、自分はもうだめだと言って、みずから頭蓋骨がむき出しになるまで、頭を壁に叩きつけて、死にます。

その後二人の妹も病気や、嫁ぎ先の姑のいびりで、満足な結婚生活を送ることが出来ずに、生家に戻ることを希望しますが、しかし、その娘たちを明治の父親は恥であると、家に入れず、二人も失意の中他家に世話になり死にます。

子供をなくした夫人は、灯篭に集まる蛾の中に三人の子ども達の魂が宿っていると信じこんで、毎夜それらに話しかけます。

結局老夫婦は、太平洋戦争開戦の少し前に次々と死んでいき、彼らの江戸時代の古い作りの家もその後解体されます。

 

「父親が、息子たちを手元から奪い去り、ダメにしてしまう敵として、警戒し恐れたものは、文学、結核、社会主義、恋愛の四つであった」

「父親たちは、良い跡継ぎであり相談相手でもある息子たちを予想していたので、裏切られたことを悲しみながらも、突っ放す。それは昔ながらの人形浄瑠璃のさわりの世界である。そして、お互いのもどかしい理解の遠々しさを覆うために、軽蔑とおそれで向かい合う。父親たちはおおむね、世代から遅れていて、彼らの理解は碩友社あたりの人情モラルに止まっているのに、息子たちは、むやみに先に突っ走って、チェホフの『熊』の主人公グリゴ-リ-・スミルノフルのように、真実を告げることで、不幸と破滅に終わることがみすみすわかっていても、それに忠実でなければならないというような時代のムードのとりこになっていた。若さの誇りとして、彼らにしてみれば、それは、変えがたく貴重な物であった。」

3.ヨーロッパの中の日本人(大正)

この時代は西洋の文物と抱き合わせで、思想文化が流入した時期なので、政府としてもそれを完全に否定することが出来ず、国民の自由や平等や恋愛等デモクラシー的な精神が政治的・保守的な圧力よりも勝っていた時代だったようです。

しかしそれでも、天皇の赤子としての意識だけは相変わらずだったようです。

前半では、海外に出稼ぎに行く庶民さえも、「天皇やお国のためにやくだつ」、と言うことを心のよりどころにしていることが書かれています。

 

・船の中の出稼ぎ労働者たち

実はこれは一章で書かれていることなのですが、内容的にこちらにまとめます。

日露戦争で賠償金が得られず、かえって生活が困窮した人々の中には「狭い日本にゃもうあきた」と海外に夢をはせた人も多かったとのことで、しかしその人たちでも、「天皇陛下の赤子としてお国のために」という精神に縛られていた、むしろ海外に行くからこそ、その心細さから、自分を擁護してほしい思いから、日本への依存的な愛郷心、を持っていた。しかもそれは政府の言うがままを支持し、軍事力に頼るような考え方であった、といことが書かれています。

 

「~日露戦争の時、戦場で黒木偽楨大将の髪を刈ったことがあるのを、ただ一つの誇りにしているという理髪師もいた。スラバヤに新説される邦字新聞の稙字工の口があってでかけるという、額の禿げあがった活字工は、サイゴン沖で年が明けると、一升瓶を持ち出して、『元日や一系の天子不二の山。この意気でゆこう』と言いながら、だれかれに次いで回っていた。

~船員たちは、二言目には『船の上は、日本の地続きですよ』というが、まったくそのとおりである。

~彼らは、暇があれば議論をする。日本総領事館が外国官憲に対して弱腰な事や、東洋からイギリス、オランダを叩きださねばならないというのは、まだいいとして、『そのために日本は大戦争を、近い将来用意している。それはたしかな筋から聞いたのだ』と一人が言えば『華僑の排日は、もう一度戦争で手ひどい目にあわさなければ、いつまでたってもやまない。まずチャンころをやっつけるのが先だ』と一人は極論する。」

 

後半では、ヨーロッパに憧れ渡航した知識人達の、東洋文化と西洋文化の間に挟まれ葛藤した人々の、絶望とコンプレックスと貧困が書かれています。

 

・著者等知識人の選民的西洋コンプレックス

西洋のオペラや映画等の華やかな文化に憧れて、ニーチェ等の哲学、トルストイの文学等に強い影響を受けて、そして自由でロマンティックな恋愛に熱狂して、懊悩し「日本人にもそれが出来るはずだ、いや貧乏くさい日本文化はそれには到底及ばない」と、日本を愛しながら否定し、そのくせ西洋の仲間には決して入れてもらえないという、作者自身や多くの知識人の絶脳とコンプレックスが描かれています。

「僕は、しみじみと日本に生まれたこととを悔やみ、丸い鼻、黄楊色の肌に、取り返しのつかない自己嫌悪を覚えるのだ。僕の眼はキラキラした西洋文化の前で、目がちらついて、はっきりよしあしを選ぶゆとりをなくしている。

~当時の僕の考えでは、日本が日本であることを忘れ、味噌汁に切干が浮かび、踵のちびた下駄をぬらしながら電柱にむいて放尿し手いる現実などは、紙屑か砂でうずめた無益な隙間にすぎなかった。文化人とよぶ同好会の仲間と、外国について語り、見聞を広め、そこの蜃気楼に住むことだけで、人生はたちどころに十分生きるに値する楽しい所となったのである。

~あのうすぎたない自然主義の小説を見るがいい。日本人の鼻先に、汚れた猿股や靴下を突き付けた時、それらを突き付けたその男は、もはや日本人ではないつもりなのだ。

~ましてあの傲慢な西洋人どもが、猿が人のまねをするときは、喝采してほめる代わりに、その猿が人と対等にふるまうようになるのを、絶対に許さないことなおは、気が付いたこともない。」

 

・ヨーロッパかぶれ西森

日本文化を嫌い、ヨーロッパに移住し、そこの紳士風の風貌をした男。

「まあ、聞きなさい。吾輩は、そう思うんだが、まちがっているかね。だいいち、日本人は、心が狭くて、排他心と言うものがつよい。腹がからっとしておらんのだな。それ、カフェへ座る時も、大使館の参事官のA君なのでもそうだ。すぐ奥の隅っこの、三角のところへ体を経仕込むようにして座る。そして、mわりに人を寄せ付けんようににらんで、それでなくては、安心がならんと言う風に体を斜めにして、部屋を見渡すのだ」

・知識人達の懐古主義と二重の絶望

西洋の文化に一心に血道をあげて、上のようにある種の選民思想的に文学等に傾倒していった知識人達でしたが、その実は、その大きな潮流のなかで、何かに一心に取りすがっていただけで、皆「他人はみな同じ方向で上手くやっているが、しかし俺は何か違うのではないか」と違和感をもち、そしてその中には、古い日本文化の良さを再発見する人間も多かったのだそうです。しかしそれは日本人が自分で捨て去って断絶してしまったものなのだと、逆向きの絶望に囚われる人もいたようです。どこにいても、足場がないということなのでしょう。

「対象の移入文化の浅さと、醜さを感じるにつけ、古い日本ンお文化が、旅寝の夢に僕を誘ったものだ。しかし、その美しい世界は、故郷に帰っても、もはや滅びて得られないものであった。この二重の絶望を、ただ絶望として受け取るには、僕はまだ決起のある若者であり過ぎた。僕は、不遜にも、西洋の模倣ではない、新しい日本の芸術を、好みを持って作り出して見せることが、必ずしも不可能な事ではないと思い込んだ。」

 

・ロンドンの漢詩人

純粋な漢詩をロンドンに紹介することで、ある意味では日本やアジアの文化を売りにして活躍した人で、「東洋の詩は、西洋の詩など足元にもよせつけぬ。漢詩の平仄と、五言、七言の簡潔な美しさを、英語に翻訳する時、つくづく冗漫で、歯切れの悪いヨーロッパの言葉が馬鹿らしくなる」。

 

・パリの日本庭園史

「毛唐の庭なんて、子供の遊び場ですよ。あんなものは、庭とは言えない。毛唐だって、ばかじゃないし、日本庭園のいいところはわかるんですね。それでも負け惜しみが強いからね。なかなか降参しないですよ。はっ、はっ、はっ」

 

・永井荷風

著者と同じように西洋文学に傾倒し、そして多くの作品を残し名声を得たが、その後、古き東洋の文学に傾倒して、それを蘇らせた。そのために、その当時は評価されなくなった人物。

 

・出島春光

パリで日本人相手にたかりをしていた長身の男。画家だが見た目に反して絵が繊細で、あまり売れる見込みはなかった。フランス人の女にもてあそばれて、そうと知りながら、人から奪った金を全て貢いでいた。ヤクザな男だが、病気で死んだときには、フランス人の間で画家の待遇で葬られた。「本当は優しい」と著者がいうように、憎めない人間だった。

 

4.章焦燥する〈東洋鬼〉(昭和)

戦時中の中国での様子を描いています。中国本土で一儲けしようと殺到して日本風の商売を始める日本人たち。日本が支配すれば世界はよくなる、中国での戦争は全て中国人のためにやっているといいはる傲慢で浮かれた軍上層部。普通の庶民だったのに徴兵されて軍隊教育や残虐な光景の繰り返しと死の緊張で狂わされ、自暴自棄に陥り、中国人相手に残虐行為をするように強制される若者たち。中国の人や文化を愛し、日本のやり方に反対する日本人たち。

(先に書いておきますが、僕は、いわつる「右翼」の人のいうところの、いわゆる「左翼」の人ではないです。 イデオロギーは頭の中にある物で、現実をそれのみで説明できると思いこむ人は、純粋すぎる。それは良くも悪くもあると思いますが。)

 

・戦争に乗り気でないが、嫌々周りに合わせるしかない昭和の人々

「まったく、一方では、報道を頭から信じ、大きな中国地図を壁にかけ、毎朝、新聞を見て、先が針になった小さな日の丸旗を、占領地に立てて、紅軍大勝利に熱中している会社重役もあれば、ろくに信を置かず、新聞など読もうとしないものもある。外国の電波を聴いて、軍についての怪しいデマを振りまくものもあるが、それも、そっくりそのまま信じられない。」

(戦争末期)~義理人情と儒教道徳のちゃんぽんで成り立っていた軍ですら、輸送船の遭難時の訓示に、「働ける若者を先にして、役に立たない老人は遠慮して、死んでほしい」とわりきったことを言い出し、人を驚かせた。もともと、戦争のメカニズムのむごいところで、それが本音である。町の暴力団並みの本性を現し始めた軍は、どこまでも国民を抱き込もうとしていたが、すでに国民の方から軍を見はなしていた。」

 

・戦争はアジアのためと言う人々、暴利をむさぼる軍部・資本家

「(谷川という紳士)中国はこれから日本の支配をうけ、その恩恵で内戦から逃れ、新しい中国に生まれ変わるのだと言った。蒋介石は来年の六月ごろには降旗をあげ、日本は欧米を威圧して、世界制覇を完成するだろうと、どこかできいたような所説を、得々とのべた。」

「早川(二郎)は日本の投資家に対して、とりわけ厳しい怒りを燃やしていた。戦場での敵味方の打ち出した砲弾の殻を、一手で回収する権利をつかんだとかで、『三井ともある日本の大財閥も、死人の金歯をとる隠亡にいつ成り下がった?』とののしった。そしてその余禄でわずかな振る舞い酒にありついて、尻尾を振っている軍の幹部だなんて、哀れなやつだと放言した。」

「部隊長たちは地域を占領するなり、王侯の楽しみに溺れてうごこうとしない。戦線は、膠着状態となる。~また、宣伝班たちは、内地からの視察団を、軍用トラックで運んで戦跡めぐりをさせるコースもちゃんと決めていた。」

 

・中国での日本人による非道とトラウマ

残虐描写は嫌いなので引用なし。だがもし本当ならその軍人達は地獄に落ちても文句は言えない。

「中国でくらし、とりわけ、美しい北京を心から愛していて、日本へ帰る気もなくなっていたような人たちは、それを破壊しに来日本の軍や、ぶったくりのような日本人のすることを、はらはらしながらながめ、内心では、憎んでいるのがよくわかる。」

「現地から帰ってきた将校が、いきなり軍刀を引き抜いて、隣席の物に切り付けた。戦争の強烈なショックにたえられないで、発狂したものであったが、新聞には一行も報道されなかった。」

 

5.感想

①「絶望」を現代的にとらえると肩透かしを食らう

現代人の絶望とは、全体の中で立ち位置が、低いとか、みじめだとか、労働に押しつぶされたり、精神的な病だったり、そういうことであると思いますが、本著の絶望は、それとは少しちがいます。

江戸町民と明治市民、権威主義な父とロマン主義な息子、東洋または日本文化への懐古心酔と西洋文化へのコンプレックス、そういった世代や文化観の葛藤、戦争の悲惨さ、そういう類の絶望を取り上げています。

時代背景が違うので、現代日本での生活に、切望している底辺(僕とか)がこの本をかっても、表面的にはぴんとこない気もします。

しかし結局人間は、住む場所の風土と、時代の精神に囚われているということで、絶望と、日本人の精神を結びつける本書は、現代人にも傾向をつかむという意味で、参考になると思います。

 

②因果関係が客観的か? 情報は信じられるか?

はっきり言って、読書をしても、ただ内容を覚えただけでは無駄な可能性があります。なぜなら、その本に書かれている因果関係や事実が正しいという証拠がないからです。

物理の本とか、数学の本とかならまだしも。個人の私見を書いている本ですから、なおさらです。

本書のテーマ、日本人の絶望的精神=狭くて湿潤な風土 という等式が本当に成立するのかは、統計等もなく、作者の体験と分析に依存しているので、十分に検証されているものではありません。そもそも人の心は統計を取ってもそこまでは有効ではないし、どちらにしても、難しい問題です。

 

それに書いてあることが正しい保証もないです。

ただ、自分なりに、人の意見も聞いて、考えるしかない。信じるというのは、結局保証のないことだと思います、そして勇気のいることだとも。たとえ、それが目の前で起こった現実でも、人は自分を信じることなしには、それを肯定しえない。

賢者は歴史に学ぶとは、歴史を丸暗記することではなく、ある種の法則性をそこに見出して、検証するということでしょう。

ただし、それには、人は他人の話をすぐ信じやすいという性質を、念頭に置かないと、意図的に観念を刷り込まれてしまうということを念頭に置いたうえで。

 

③戦争について考えさせられる

戦争体験では、日本兵の中国での残虐な行為が描かれています。そしてそれが軍部による意図的な洗脳、精神的混乱「アモック」のなかで行われたと本著では語られています。

この原理について、人間を不安や恐怖で支配して、そこに何らかの刺激を与えれば、人を容易に操れるというものです。

僕はネット世代の底辺なので、南京大虐殺はデマだとか、中国は汚いだとか、李氏朝鮮は車輪も作れなかったとか、大東亜戦争でアジアが独立できたとか、日本人は立派だったとか、そういうのを見てきた人なので、もうどっちが本当なのかわからない。

しかし、今までの人生経験から、本書の日本人の精神性についての主張はある程度的を得ていて、戦争時における、非戦闘員にたいする殺戮等は、あったと推測します。過度の一般化は危険なのですが。

 

アメリカのイラク戦争での蛮行を例に説明します。

イラク帰りの兵士が銃で人を殺すという事件は耳にしたことがあると思います。そして本著でも日本兵において、同様の例が語られる。

これは彼らが残酷だったというだけではないと思います。むしろ彼らの良心が悲鳴を上げていたからこそ、それを封殺しようとしたゆえの行為なのだと思う。

 

「動物の知性」と言う言葉があります。

・馬車が狭い崖道を通っていると、目の前にライオンが現れる。

・ライオンは飛びかかるチャンスをうかがい、馬と馭者は逃げ道がないなかで、なんとか、打開策を考え、少しの間膠着状態となる。

・結論から言うと、馬は自ら崖へ身を投げて、馭者も道ずれにする。

 

これは馬がライオンと言う目先の恐怖を回避することを優先にしたからです。要するにライオンは恐怖で、馬は本能、馭者は知性です(ついでに馬車が体か)。無意識や本能は残酷な光景・罪悪感、そういうものから逃れるために、また残酷なことをしようとするのだと思うのです。

小説、星の王子様で、酒のみが酒を飲むのは、酒を飲むのが恥ずかしいからなのです。

 

以上で終わります。やはり長すぎたので、すぐに改訂版を掲載します。ここまで長々と、読んで頂いて(これ間違いらしいです)ありがとうございました。ではまたー

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です