「読書レビュー&メモ」儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 

 

 

こんにちはRAIMEIです。今回紹介する本ははっきり言って中国や韓国の人を悪く言う内容の本です。ただ自分でいうのなんですが、僕はわりとリベラルな人間です。まああまり自分の思想に近い本ばかり読んでもあれなので、たまにはこういう本もとりあげたいと思います。

僕は差別は嫌いです。はっきり言えば今から紹介する本はヘイト本だと思います。ただ例えば在日朝鮮人の方等が、特定の?地域によっては、公的なサービスを受けやすいとか、いわゆる右翼の人がいう「特権」とは別次元ですが、優遇されることがあるのを知っています(これはネットの不確かな情報ではなく確かな筋の情報です←それゆえソースを公表できないので、このブログを見ていただいている方にとっては信頼に足る情報とは言えませんが)。

世の中は白か黒かではわりきれません。そんなに単純なものではないと思います。ある時は味方だしある時は敵、ある時は強者だがある時は弱者ということは人間あるものです。ですので、敵か味方か強者か弱者かみたいな見方は、自分の身を滅ぼすと思ってるだけです(ただしその尺度は持っていなければならないので、こういうジャンルの本も程度をわきまえ、しっかりしたソースが提示してあるなら読む価値はあると思うのです)。

 

先に言うと、僕は今から本の批判をします。でもそれは本に書かれている具体的な内容の正否(例えば、中国が日本にこんな不利益をもたらしたよ的な)やこの本が書かれた思想背景についての批判ではありません。本の形式というか書き方についての批判です。

はっきり言うと、こんな内容じゃあ全然説得力ねえぞ!ケントさんもっとまじめに本書いてください!というような内容です。ではどうぞ!

 

著者

ケント・ギルバートさん(テレビコメンテーター、岡山大学客員教授)

本書の概要

中国と韓国(以下中韓と訳させていただきます)の最近の横暴ともとれる振る舞いは、その根底に儒教的精神が影響しているという論旨の本です。初めに論語の、父親が羊を盗んだ時それを公にする息子が正直者ではなく、父親の罪をかくしかばう息子こそ正直者なのだという、孔子の問答が紹介され、それを基に、儒教=公より考(私)を重視する自分中心主義の教え。という理論が展開されます。そして実際に中韓の身勝手とも思える行動の数々あげて、そのような行動に出る理由を上記のロジックより説明しています。

 

本書の見所(重点→批判的読書の意義)

結論から言うと、本書は書いた意図や政治的思想はともかくとして、論理的な展開が十分でなく、記述に説得力がない、悪書だと思います。

しかしそれゆえにある意味では、この本の論理がどうまずいのか、どうして説得力がないのかを考える事で、本の読み方・書き方の参考になるとも言えます。そういう批判的な視点で読むとためになる本だと考えます。以下その点について述べます。

 読書には目的があり、それを達成できたと思われてこそ良書といえると思います。そしてそう思われるためには必要なポイントというものがあると思います。

・空想の世界に浸りたい・楽しく暇つぶしをしたい→ラノベ・なろう小説等→文章や展開がわくわく・ドキドキできるか等

・知識を得たい→知識が書いてある本→“書いてある内容がもっともらしい”等

知識を得たいのに、書いてあることが胡散臭かったら、とても良書とは言えないと思います。ではどういうところが胡散臭いのでしょうか。

 

 

・前提知識が不十分なので論理として不十分(儒教=自己中=中国・韓国人という論理をうまく説明できるだけの資料を提示できていない)。

本書の骨格となる論理は儒教が中・韓の人の考え方を支配しており、そのために自己中心的でいわゆる現代人から見れば常識はずれな行動をとるのだというものですが、この論理の前提となる儒教について十分な解説がなく(P23に論語の一説が書いてあるだけでそれ以外儒教の具体的中身について言及なし、儒教の聖典は四書五経であるが、論語はその中の問答集であり、論理的体系を説明したものではない)、前提知識があやふやなまま中韓の行為を、儒教のせいにしてしまっている。前提が不十分なために論理としては不十分です。

 

「私の村の直躬という正直者は、父親が羊を盗んだのを知って、子供なのに訴え出ました」

「私の村での正直者とは、この事例とは違います。父はこのためには罪を隠してかばい、子は父のために罪を隠してかばうものです。この罪を隠すことのなかにこそ、正直の精神があるのです」P23

 

まあこれだけを読めば、確かに儒教とかゴミやなあとほぼ全ての日本人が思うことでしょう、しかし、論語は孔子の問答集であり、論理的体系をまとめた書ではなく、質問する人により孔子は答えの趣旨やレベルを変えているようです(つまりこの思想が儒教の柱ではない)。

 

 

・説得力がなく、作者のことを信頼できるような書き方をしていない(引用・統計的資料・民俗学等の資料がほぼ提示されないにも関わらず、断片的な事象をあげて、推測から中韓の行動やその原理を説明・断定してしまっている)。

例え儒教が利己的な教義であると説明できたとしても、それが官僚や民衆にどのようにねづいていったのかの説明や統計資料がないため説得力がないです。日本も儒教に影響を受けた国だが、著者によると日本は儒教の良い面だけを受け継いで、利己的な悪い面は受け継いでいないといいます。儒教には考・仁・義・礼・智・信の教えがあるが、中韓はこの中で「考=公より私を重視する」のみを受け継いで、他の部分は捨ててしまい、逆に日本人は公を重んじながら、儒教のいいところのみを吸収していったというが、その過程に関する記述・資料がありません。というかこの本自体、ほぼ引用や資料が提示されることがありません。

本書では、儒教や中華思想があるから

「中国人は~常に自分自身と身内の利益しか考えていないのです」(p91)

「格下である日本人が自分たちより上に行くことは韓国人にとって耐えがたい屈辱です」(p88)

という、断定的な書き方が非常に多く、また起こった出来事についても、こういうことがありましたと、ただ書いてあるだけで引用がないので、それがどこまでが真実なのか、いまいち信用できない箇所が複数あります。

一般市民には、インターネットで検索するか、適当に資料も提示しないでまくしたてる、ケントさんの意見を全て鵜呑みにするかしかありません。

別にケント・ギルバートさんが嫌いだとか信用できないと言っているのではなく、引用も資料もろくにない本を出す姿勢を疑問視しているのです。説得力のある文章は以下の様な要件を満たしていると個人的には思います(あくまで私見)。

 

①資料・引用・文献の著者名等のあるもの(自分で文献を読むことで検証ができるため、恣意的な引用や資料解釈は除く)

②常識的にかんがえて演繹として妥当なもの(日常生活でわかっていることも含む)

③世界的に有名な出来事

④今まで多くの議論がされほとんど知識や理論として確立されたもの

⑤筆者がその道の専門家や責任ある立場の場合

 

たとえば、僕がカイカイ反応通信とかをみて、韓国では日本人相手なら、どんな悪いことをしても愛国闘争として許される風潮がある。みたいな解釈をして、それを居酒屋で友達に話しても、いまいち説得力がないでしょう。

でも実はこんな統計資料がある、こんな有名な教授がそういっている、等を付け加えれば僕の発言でも、ぐっと説得力はたかまります。

しかし、本書では、引用がすくなく、統計資料もなく、紹介されている出来事も、平和ボケした日本人には初耳なものも多く(しかもインターネットはいまいち信用できない)、ケントさん自体もアメリカ育ちのアメリカ人であり、一流の論客だとしても、中韓の問題について、はっきりと責任ある発言をできる大家かというと疑問が残る(というか論理がいまいちで引用がないために自身の論客としての価値をこの本の中では著しく落としている)。

というわけで、疑うことをする読者なら、この本に書いてあることを、“ほんまかいな?と興味をもって、ネットで真実?を探すきっかけにする“というよりは、”うーんこのおじさん片手間で書いたでしょ、日本好きみたいなこといっておいて、逆に信用できないわ“。なってしまうと思うのです。

 

まだ書きたいところですが、文章が多くなりすぎるので、いったんここで区切ります。興味のある方は下のメモを少しのぞいてみてください。僕は別にケント・ギルバートさん個人を嫌いなわけでも信用できないわけでもありません。ただ仕事でもありがちだけど、片手間や徹夜明けで描いたような文章はわかりますよね。普段文章を読むときはあらさがしなどせずに、素直に読むことが大切だと思いますが、悪い意味ではなくて、人の失敗から学ぶということは必要ではないでしょうか。

あと、最後に中韓について私見を書きますが、みんな同じ人間です。神でも悪魔でもない、心には白黒なんてない、闇も光もない、どちらかだけをとったり、捨てたりしようとすれば、それは人間疎外だと思います。ただソフト×ハード、環境×才能なので、環境がマイナスならば、人もマイナスになるしかないよなという風に思います。見ていただいてありがとうございます。ではまたー

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メモ

その他気になった点

 

・事実としてあまりにも信憑性のない部分については、「だろう」や「思います」「ニセモノだとするとデキスギ」などのあいまいな表現がおおい(水増しに書いたであろう後半に多い)。

 

・矛盾点の多い記述が目立つ、中韓の行動を、中華思想に求めていることが多いが、中華思想(中国を中心にして、そこから遠いほど蛮族)=儒教(上下関係を重んじる)ではなく、中華思想+儒教(この二つが密接につながっていると言うがその説明がない)で説明しているので、儒教で中韓の行動を説明するという論理の弱さを自分で認めているようなものでは。

 

・ケントさん、依然は日本の戦争について、厳しい意見を持っていたようだが、いまは日本を正当化する書籍や論説が目につく。しかも経済的に困ってから転向したという疑惑もあり、お金がらみかとも、意地が悪いが思ってしまう。というかそういう意見がいまいち信用できないインターネットに書いてあった(しかしいまいち信用できないのなら、おれのこのブログなんて一体何なんだろうね、いや玉石混合というやつですよ。)。

 

自分用のまとめ、本を読むとき書くときに気を付けること、説得力のある文章とは?

①論理の前提条件がしっかり記述してあるもの。

②資料・引用・著者名等の記してあるもので、文脈を無視したり、一部を抜き出す様な恣意的な引用をしていないもの(自分で文献を読むことで検証ができる)

③常識的にかんがえて演繹として妥当なもの(日常生活でわかっていることも含む)

④今まで多くの議論がされほとんど知識や理論として確立されたもの

⑤筆者がその道の専門家や責任ある立場の場合

⑥であろう的な推測が少ないもの

⑦作者が怪しくないもの

⑧矛盾点が多くないもの

 

用語

論理 思考や議論を進めていくうえでの筋道(三段論法で説明できるものは論理) 英語だとlogic

理論 事実や現象を説明するための体系的な知識 英語だと theory

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