「怖い話」商店街飛行

 

「窃書は罪ならず」これは魯迅の小説の中の人物コンイ―チーの言葉だ。
ところで、現代日本の大学生においては「窃傘は罪ならず」という言葉がしっくりと当てはまる。

大学近くの商店街、雨宿りに牛丼屋等に入ると、帰る時に傘立に置いておいた自分の傘がきれいさっぱりなくなっているというあの現象だ。大概雨の勢いはましており、しばし呆然となる。だが別にたいして腹を立てたりはしない。ビニール製だし、代わりに誰かがぬれなくてすんだのだから、お互い様の「窃傘は罪ならず」だ。今からの話は、こういうマナーも頭も少し悪い大学生の頃、俺が数年前に体験した話だ。

舞台はこの商店街、すごく狭い通りに色々な店が連なり、特に飲食店が多かったが、例えばカレー屋にしても、洋食タイプ、インドタイプ、喫茶店タイプ、カレーハウスタイプと色々な店がそろっていた(古い世代の話なので、詳しくは知らないが、昭和の一時期カレーハウスがブームだったらしく、詳細に段階的に辛さを選べるシステムもここからだという)。

もちろんラーメン屋も10店舗以上がしのぎを削っているし(二郎系や家系が人気だ)、居酒屋、焼肉屋、中華、ケバブ、蕎麦うどん、てんぷら等、とにかく、あらゆる飲食をこの商店街だけでまかなえた。

飲食以外でも、パチ屋にゲーセン、ケータイショップ、雀荘、ビリヤード場、ダーツ場、本屋、昆虫ショップ、玩具&骨董品屋、何でも屋等、ようは狭い商店街に多くの雑多な店が存在し、とても賑わっていて、学生が楽しむには苦労しない場所だった。

当時の俺の一番のお気に入りの店はパン屋だった。しゃれているわけではなく、その店は職人の親父さんと店員の娘さんの二人で切り盛りしている店で、率直に言うと、俺はその看板娘目当てで通っていた。

別に下心以上のモノがあったわけではない。ただ個人的なアイドルという感じで、その他にも彼女を思って通っている男はいただろうなと今でも思う。

前ふりが長くなったが、なんでこんなことを書いたかというと、このパン屋と怖い体験が関係しているからだ。正確に言うと別に怖くはないのだが。とにかくここからが本題だ。

―――
事件は俺が3年の夏休みの時に起こった。俺にはこの商店街で2年間ずっとかなえてみたい願望があった。傘をさして風に乗り空を飛ぶことだ。「なんだそりゃ、頭大丈夫ですか?」という感じだが、まあまってほしい。

この地域では、5月~6月ごろになると、台風がやってくる。それ自体は普通のものだ。しかしそれがこの商店街を通り抜ける際には危険度が格段に高くなる。両サイドに店がたっている狭く長い道を、風が通りぬけることで流速は増し、うかうか傘なんて広げていると、人が数メートルくらいなら、飛ばされてしまうかもと危ぶまれるレベルなのだ。

もちろん、いくら強風だからといって、カレーやラーメンを食べ過ぎな成人男性が風に乗って飛ぶなど不可能な話だ。それにもし仮に飛行が可能だったとしても、そのチャンスは非常に限られたわずかな期間にしか訪れない。

この台風による商店街強風は5月後半~6月のうち、わずか数日間だけ見られる現象であり、俺の大学はゴールデンウィークだの体育祭だので、そのころは登校しなくてもいい期間だからだ。

なぜ強風の中で体育祭を開くのかと思うだろうが、俺の大学は違う駅にもう一つ一年生用の校舎があり、そこでは雨も風もふらないので、そこで体育祭はおこなわれるのだ。また体育館で行う競技も問題がない。これは任意参加なので、俺のような出不精には、結局5~6月はほとんど休みといっても過言ではない(もちろん意図的なさぼりも込みである)。

ようは梅雨の時期に信じられないほどの強風が吹き、その期間は休みやさぼりが多いため、物好きかまじめか、とにかく律儀に登校しようとするわずかな人だけがこれを体験できるということだ。

そして俺は3年間全てこの強風を体験した。1年の頃の体験を描写してみよう。

その日俺は午前10時ごろに、電車を降りて商店街に向かった(俺のアパートは一年校舎とは反対方面の1駅離れた場所にあった、安かったのだ)。普段ならもう店が開いている時間だが、どこもシャッターが閉まっており、人通りもほとんどない。前と後ろに数名だけ。

家を出る前から雨は降っていて傘は持ってきていたが、しかし商店街はまさに大嵐と言ってよかった。そこでは皆同じ行動をとる。初めは風にさからって、傘を盾にしながら歩く。しかしすぐに傘が壊れるか、風に引きずられてよろけて、歩行が困難になるかで、みな傘を諦めて、濡れながら歩く。そしてずぶぬれになりながら、校舎に辿り着くと講義は休みだったりする。

「いや休みの可能性が高いなら初めからPCや携帯・スマホで大学ポータルサイトから確認しておけよ」と突っ込まれそうだが、これは数年前と言っても四捨五入すると10年近く前の話である。何がいいたいかというと、PCの操作になれていないおじいちゃん教授も結構残っている時代の話で、どうも俺の大学サイトの情報はあやふやなのだ。

そして実をいうと、6月ごろにもなれば、俺のようなタイプの人間は、もうさぼれるだけさぼって、既に出席日数ギリギリな状態なので、つまりもう一回もさぼれないので、仕方なくアナログに突撃して、講義がやっていないか確かめなければならないのだ。

台風で大学は休みなはず、しかしもし万が一講義をやっていたら、俺は単位をおとして、大変なことになるというわけだ(もっともこの問題は、俺がボッチだった1年時だけで、その後は、仲間内の情報もあるので解消されたが、しかし俺の仲間も大概サボり魔であるし、一応というか台風目当てというか、2年目以降も登校していた)。

基本余計な事を書いたが、現役大学生には単位の問題が一番怖いだろう(夢に見るくらいに)。とにかく俺はこのとんでもない足が浮くほどの強風にのっていつか飛びたいとひそかに妄想していた。もちろんそれは物理的に不可能だし、それに周りの目があり恥ずかしい。

だから、2年間スルーし続けてきた、しかしある時偶然にもチャンスはめぐってきた。それは3年の8月の夏休みの時だった。その日たまたま、6月と同じくらいの大きな嵐が来た。夏の嵐だ。

俺はいざと言う時のために買っておいた丈夫な傘をもって、商店街に駆け付けた。そこには信じられないくらいの強風が吹いていた。ベルヌーイの定理万歳。あたりには人がいない、商店街のシャッターもしまっている、これはチャンスだ。

俺は駅から続く信号を渡り、商店街に数十歩はいり、ブックオフとお茶屋と松屋(上はビリヤードクラブ)があるあたりに陣取った(実は冒頭のは半ば冗談であり、実際には松屋で傘を盗まれても5分ぐらいで駅に着くことができる、信号の待ち時間が長いのを除けば濡れるリスクは低い、だたしもう少し先のスキ屋で傘を盗まれた場合はその限りではないが俺は松屋派だ)。

もちろん飛べるわけがない。しかし助走をつけて走れば、すこし浮くぐらいなら出来るかもしれない。俺はトライしない自分にいらだっていたのだ。代わり映えのしない生活の中で、精神的にとびたかったのだ。俺が無意味に数歩下がり、前足に力を賭けよとしたその時、その時、しかし後ろから肩を叩かれ、俺は驚いた。

振り返ると、そこには杖をついた、いや傘を杖代わりにしている着物を着た、見知らぬ婆さんがいた。背は低いのに背筋はまっすぐで、いかめしい目がこちらをギロリとにらんでいて、昭和の化石頑固ババアと言った感じだ。

婆さんは俺の手を無言でつかみ、顎で近くの店の、看板(歩行者と同じ目線の)のほうを指示した。雨風を盾にするために、そちらに移動しようという事らしく、俺は何事かとおもったが、とりあえず、老人相手でもあり、むげに拒否もせず、要件を聞くことにした。

「やめておきな。風くらいで大の男が飛べるもんかね」
「え・・・いやーなんのことやら、俺はただ突然走りたくなって」
「それだって傍から見たら変だよ、こんな雨の日に。でもたしかに痩せている小柄な人間なら、この風で数メートルは吹き飛ばされることはあるのさ。私のようにね」

「ええ、お婆さんまさか?」
「ああ、急にヤクザな風にさらわれて、私をどこへ運んでくれるのかと期待したら、なんと看板にぶつかって大けが。くそ忌々しい話さ」

「・・・そうですか。でもなんでそんな話を俺に?もしかして万が一を考えて、止めてくれたんですか?」
「お互いサマーズだよ。ついでにこれをこの先のパン屋に届けてもらおうと思ってね。まあ今日は開いてないだろうけどね」

懐からとりだしたのはオレンジ色の髪飾りだった。俺はそれを受け取り眺めた。俺はファツションには疎いので、具体的にどうよかったとかは書けないが、なんとなく高そうなものだということは感じた。そしてこれは後で知ったが鼈甲という素材らしい。

俺に頼まないで、自分で渡したらいいのに、と思いながら顔を上げると、そこにはもう婆さんはいなかった。どこにいったのだろうかと、少し視線を迷わせたが、どこにも見つからなかった。

店はお盆で台風だし開店しないだろうことは明らかだった。そして婆さんが怪我をしたとうことで、俺は臆病風に吹かれて、その日は松屋で、適当にキムカル丼をたべて、そのまま帰宅した。ついでに言うと、傘は傘盾に置いていたが、この日はなくなっていなかった。

さらについでだが、ビビン丼は、大盛りでも具の量が変わらないので、非常にコスパがわるいのだが、これはビビン丼の具は個包装になっているためだ。といっても最近はメニューが変わり、俺の金銭感覚もかわったので、そこまで細かく気にしてはいないが。

―――

数日後、俺は再び商店街にいって、例のパン屋に婆さんの髪飾りを届けようとした。
もちろん下心以上のことは何もない。もうお盆も過ぎたので、パン屋はやっており、俺は、俺の個人的アイドルの看板娘(仮にNちゃんとしておこう)に、おそるおそる鼈甲の髪飾りを取り出して、見知らぬお婆さんにこれを届けるように言われたと、さりげなく簡潔に経緯を説明しながら、フランク且つ紳士的に、話しかけようとした。

というシミュレーションをしただけで、実際には、Nちゃんのいるレジまで行って、どぎまぎしながら、「これお婆ちゃんから」といったつもりで、ぶっきらぼうに、髪飾りを取り出しただけだった。もちろん葛藤があった。口説いていると思われたら痛いやつなのだ。そうすると俺はとても傷つく。

何も言えずに数秒の時がたち、俺がうつむいて心の奥の暗い部屋で、体育館すわりをしながら人生の色々な事を後悔しはじめていると、その時変化が起きた。気が付いて顔を上げると、Nちゃんはなぜか青ざめているような、泣いているような顔をしていた。

俺はその時、思いきって、婆さんとのいきさつをはなした。まくしたてた。何か俺が悪いことをしたのかと不安だったんだ。すると、Nちゃんはますます涙を流し、うつむいてしまった。俺は自分が自分の言いたいことばかり、いっていることに気が付いて、なんとか慰めようとした。何が悲しいのかはまるでわからないながらも。

少しして、Nちゃんはもう大丈夫だと涙を拭いて、俺をみた。女の涙の後がとても美しいとはしらなかった。これは下心ではないと信じたい。

Nちゃんによると、俺が出会ったのは、おそらくだが、数年前にある事故で無くなったNちゃんのお婆ちゃんだという。髪飾りはその片身で、生前から幼いころからNちゃんがねだっていたものだったようだ。お婆ちゃんととても仲が良く、Nちゃんにはその死がとてもつらいものだったという。

お婆ちゃんは髪飾りをつけている時に商店街で事故にあい、そして彼女の遺体は見つかったが、髪飾りだけはどこかになくなってしまって、とうとう見つけられなかったということだ。

Nちゃんは、確かに髪飾りは、自分のお婆ちゃんの片身だと、俺が差し出した瞬間から確信していたようだ。何か確信するきっかけがあったのかと聞いたら、数日前におばあちゃんが夢枕に立ち、自分に微笑みかけていたそうだ。

お婆ちゃんが成仏していて、御盆に返って来ていて、それを自分に知らせに来てくれたと、約束を果たしてくれたと、喜んでいた。でもそれなら夢ではなくて直接来てくれればいいのにともいっていた。

俺はなんか天国にもルールがあるのかも、とか曖昧に答えた。
Nちゃんは俺に何度もお礼をいい、そしてパン屋のスタンプカードをたくさん推してくれた。俺は彼女との距離が急に近くなっていることを感じた。そして彼女もそう思っていると。その日はそれでパン屋を後にして、松屋でカレーをたべて帰宅した。今考えると食べ過ぎだった。

―――

しばらくたって、まだ夏休みの終わりごろ、俺はNちゃんと映画を見に行く約束をした。彼女の家自体は、そのパン屋とはべつなのだが、婆ちゃんに感謝して商店街で待ち合わせをした。

俺はお茶屋さんとブックオフと、その付近を歩いていた。商店街は夏休みの分人は少ないとはいえ、それなりに活気を取り戻していて、周りには人がいた。その時、突然信じられないほどの突風が吹いた。天気はきもちのいいほどの晴天だったのに。そして俺の横を何かが、通り抜けていく感覚がした。

俺はよろけた。とっさに近くの看板につかまろうとして、バランスを崩して結局転んだ。周りの人々も何人かよろけていたはずだ。

そして空を見上げた時俺はみた。開いた琥珀色の傘が風に流されて空中にまっていた。たぶん数秒のあいだ滞空していた。傘はその後斜め前方向に飛んでいき、ビルにあたって地面に落ち、さらに道路を滑って行った。

俺には笑いながらこちらを見ている婆さんが、空高く飛んで、そのままどこかへ消えてしまったように思えた。そういうイメージが目の前に浮かんだ。

それにしても婆さんは俺をたすけてくれたのかな。それともただ髪飾りが渡せればそれでよかったのか等少し考えたが、なんで婆さんが髪飾りを渡したかは、本当に謎のまま答えは出なかった。孫の彼しが俺で本当にいいのか婆さんよ?どっちにせよ細かいことは死人相手では問いただすこともできない。俺はこの時婆さんが、死人だということにたいして、ぜんぜん恐怖をしていないことに、初めて気がつき、その初めて気が付いたことにたいして不思議に感じた。

そして俺は何で無性に飛びたかったのか、この時やっとわかったような気がした。それは、今まで、いやこれを書いている今でも完全ではないが、自分を抑制して、あきらめてきたんだ。それまでの人生で一度もリスクをとらなかった。だから好きな人にも好きと言えず、やりたいことにも身がはいらなかった。いややりたいことなんて本気で考えなかった。

俺はそれがくやしかったんだ。だからそんな日常から飛び立ちたいとそう思っていたんだ。本気になれない自分が嫌だった。でも悔しくてそこから目をそむけていたんだ。

なんか最後に教訓めいた内容になってしまったけど、とにかく俺は憧れの女性を映画に誘うことが出来た。それはある種の人にはなんでもないことかもしれないが、俺のような人間にはとても大きな一歩だった。何かが変えられる気がした。縁結びの婆さんに感謝だ。
その後彼女とうまくいったかという話だが、これは秘密にしておこう。

 

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